エポック・メイキング李香蘭

 

 ここでまた「李香蘭」と聞きますと、私が子どもだった頃に母や姉たちの会話に興味をもち話題に首をつっこみたくて、めいっぱい背伸びして口にしていた「李香蘭」という音の響きに懐かしさをおぼえます。そして軍歌も戦時歌謡も大陸や満州の生活までも、すべてがあたかも実体験であったかのような記憶がよみがえります戦後生まれの記憶の中に、これだけ戦前・戦中が色濃く残っているのは、戦後のしばらくは「りんごの歌」と「美空ひばり」ぐらいしか印象の強く残るものが無かったためなのかもしれません。

 日本で上演されるミュージカルは、ロンドンとニューヨークでロング・ランしたようなものばかりで、メイドイン・ジャパンのオリジナル作品は皆無と酷評され続けている中で、劇団四季を率いる演出家の浅利慶太氏は「キャッツ」から「オペラ座の怪人」へとロングランの記録を更新し続ける一方、子どもミュージカルで練りに練ったオリジナルな秀作を一般向けに作りなおして「ユタ」そして「夢から醒めた夢」と日本製のミュージカルを世に送り出していたので、次にどんなオリジナル作品を観せてくれるかと密かに期待をしておりましたところ、ついに「ミュージカル李香蘭」を出してきました。

 はじめて「ミュージカル李香蘭」と聞いたときには、びっくりするほどの以外さを感じました。そして此処でなぜ「ミュージカル李香蘭」をと考えてみますと、この時だからこそ「李香蘭」と納得でき、その綿密な計算に裏付けられている様に驚きを感じました。しばらく前にTVドラマの「李香蘭」を観ておりましたので、それがほとんどそのままミュージカル化したものと想像しておりましたら、そのスケールの大きさと意気込みに圧倒されました。元来波瀾万丈などと無縁な人たちまでも巻き込んだ「昭和」という激動の時代を生き、押し流されて予定外の人生を生きている者たちと巻き込まれ死んでいった多くの者たちへの記念碑でもあり慰霊碑でもあろうとする演出の熱い思いが感じられます。

 「昭和」が終わって平成の今、昭和を生きた者が昭和を生きた者への「記念」として、これからの者たちへの「贈り物」として、いま此処でこの作品を作らなければ、いま此処でこの作品を世に送り出さねばという意気込みがうかがえます。「ミュージカル李香蘭」は「李香蘭」を主役としているのと同時に「昭和」という時代を主役にしています。昭和という時代が誰も望まない方向へ突き進み、ブレーキが効かなくなって巨大な壁に激突し、大きく方向転換するまでをニュース映画の映像まで織り込んでダイナミックなスペクタクルに造り上げられ、そこに李香蘭・山口淑子と川島芳子「二人のヨシコ」が光と影のように登場し、さらには満州国皇帝溥儀から中国の民衆までが激流の中の「群像」として描かれています。

 そこでは李香蘭・山口淑子を主役としていても激流の中の「群像」から抜け出してしまわないように、演出の工夫がされています。劇団四季が得意とするアンサンブルの見事さが、ところ狭しと乱舞する「群衆の動き」と波動が目に見えて伝わってくるような「豊かな合唱」に冴えをあたえ、李香蘭が愛して望んだ二つの祖国の協和への願いと怒り、中国民衆の嘆きと怒りが見事なまでに演じ上げられております。最終場面で李香蘭を許す裁判長が「以徳報怨」と呼びかけ、民衆がどよめきます。昭和を生きて、大きな戦争を体験させられた者たちにとっても、戦争放棄の平和憲法の下に教育されて育った者たちにとっても、湾岸戦争の硝煙が鼻先にまだ漂っている今、懐かしさと新たな感慨を与えてくれるでしょう。

 

 

              Mail toTaro-Hanako Family   


 

 

もどる