思い出を売る男

 

 うらぶれた裏町のほの暗い街灯にぼんやりと浮かぶくすんだ灰色の壁。表通りの喧噪が嘘のような静けさの中で、男は街灯に寄り掛かり壁を凝と見つめている。肩からは古風なオルゴール箱を下げ、そのハンドルを静かに廻している。左手には古ぼけたサクソフォンを抱え、通りすがりの人たちに「思い出」 を売ろうとしている。街の女に訊ねられて、落ちぶれた詩人と応える男。「思い出を売る」男は、自分の才能を生かす仕事としては此が最後の「藁」なんだという。

 かつて男はどんなことに夢を描き、期待に胸を膨らませていたのだろうか。それは多分「ポエム」などではなく、詩人になろうとしていたのではないでしょうか。挫折して、絶望の淵をさまよい、見いだした一筋の光明がたまたまでも「ポエム」だったのであり、これが残された唯一無二なものと思ったのでしょう。はるか彼方で小さく輝く「ポエム」を掌中にと這い擦りにじり寄っていくうちに、模索と錯誤の過程の中で得た「音楽」を触媒にして、「思い出を売ろう」と確信したのでしょう。

 何処から来たかと花売りの少女に尋ねられ、美しい白百合がいっぱい咲いた「遠い遠い幸福の国」と男は答える。それは男が絶望の淵を独り歩むときに創り出した空想の産物であり、それを心の支えにして生き延びた「聖なるものに抱かれ安らぐファンタジー」のことを懐かしみ、自分自身に語りかけていたのでしょう。「思い出」はかつてのエピソードによるものばかりでなく、必要があって創り出した空想の産物であっても充分に「思い出」になりえます。男はその思い出で「美しい幸福」が得られることを自らの体験から確信していたので、自信をもって「思い出」を必要とする人たちに与えてあげられると思っているのでしょう。

魅惑的な音楽を巧みに操り、催眠術師に似た手法で「美しい幸福」を感じさせます。そして「ポエム」はその思い出を必要とするときには何時でも呼び出せる「呪文」のようなものとして手渡します。戦争で両親を失ったという花売りの少女、やはり戦争で夫と子供を失ったという女、戦争ですべての記憶を失った男、それぞれがここで男の奏でる音楽によって過ぎ去った遠い思い出を呼び覚まします。男のサクソフォンが「巴里の屋根の下」を奏でると灰色の壁に三人の姿が浮かび、銃声がして壁の幻は消える。そして男は彫像のようにたたずむ。

 

 

 

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