ストレイト・プレイとミュージカルについて

 −劇団四季にはオリジナル性がないという批判に応えて−  

 

 劇団四季がオリジナリティーのかたまりであることは、演劇関係者も専門家も多くの人たちが認めるところです。日本の演劇界全体が低迷するなかで、四季のみが唯一好調な発展を続けていることからも理解できると思います。オリジナル性がないという批判は、40年以上前に学生だった浅利慶太と日下武史らがアヌイとジロドで劇団四季を始めて、現在はロイド・ウエバーやディズニーで、いわゆる翻訳物をやり続けているのが根拠のようです。しかし、四季の全作品を知らずに発言しているものと思われます。四季がミュージカル劇団であると思っている人が少なくないようですから、仕方ないのかも知れません。

 ユメ、ユタ、リコウランが代表する四季のオリジナル作品がニューヨークとロンドンで上演されるのも、それほど先のことではないと知らない人たちの批判と考えてもよいと思います。日本国内で常に数作品が上演されているように、将来、世界中で数作品が上演されているようになったら、オリジナル性がないという批判は消滅するに違いありません。話が難しくならないように説明するのは難しいのですが、ここで「オリジナル性」という言葉を使うのは正しくありません。演劇関係者も専門家も、そう聞くと別のことと受け取ってしまいます。セリフが観客に聞き取れるよう独自の発声法をもつ四季が、オリジナル性がないと巷で噂されていると聞いたら、ビックリ仰天するのではないかと思います。四季出身者は「モトシキ」と呼ばれていますが、モトシキは「シキ節」がとれないと使えないという演出家がいるようです。

 ついでに言うと、演劇(ストレイト・プレイ)とミュージカルは別物ではありません。ストレイト・プレイに台詞に曲をつけ、動作に踊りをつけた延長線上にミュージカルがあるという考えです。歌と踊りを組み合わせてストーリー性を持たせたという考えは間違いであると思います。と言いながら、この小文を書いているのはハク爺で、サナ婆ではありません。ハク爺は心理学と介助福祉犬が担当で、演劇はまったくの耳年増です。電話でサナ婆に詳しいところを説明してもらって下さい。

 

 

 

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