この生命は誰のもの?
 〜最先端医療に続くもの〜 

 

 劇中の看護学生と雑役アルバイトのミュージシャンとのやり取りのなかで、「ここに奴さんを置いておくのに、いくらかかると思ってるんだい。週に何十万なんだぜ、アフリカじゃ子どもがはしかでバタバタ死んでいるんだ。死なせまいと思ったら、たった数百円ありゃいいんだぜ。どっか狂ってるよ。」という会話があります。そして、最後に審判で「死を選択する自由」を勝ち取り、病院から施設に移り住んで誰にも死ぬと思われて幕になるこの作品の主人公である早田健が、その後に電動車椅子を口先で運転し颯爽とスーパーに買い物に行く姿を想像したら複雑な心境で苦笑いです。

 ガン治療から臓器移植そして遺伝子治療まで、「最先端医療」は断たれる希望を先に繋いでくれます。もしも病院スタッフの尽力で九死に一生を得たら、感謝して家族に再会できた喜びを噛みしめるでしょう。これは確かなことです。しかし、この劇的な感動を全ての人が望んでいると考えられているところに問題があります。しかも、それに公然と異を唱えることが許されていないところも問題です。

 黄金色の世紀末医療ともいえる最先端医療は、更の技術革新で更に不可能を可能にしていってほしいと思います。しかし、来たるべき「次世代医療」はお為ごかしの押しつけを当然のものとせず、価値観の多様性を認め、患者と家族に選択の自由を与えて、それに即した医療を施してくれるよう改善されていってほしいと思います。

 

 

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