[ 一味違う回答コーナー ]

 

心理臨床プラクティス第1巻「開業心理臨床」
第3章 開業心理臨床を開設して
星和書店・東京 1990年9月 


「開業心理士」10年の歩み

 

 

 私が外来精神療法施設としての精神衛生相談室を開業したのが昭和53年(1978年)3月でしたから、今年でちょうど10年になります(1)と(2)。さらにその前に、友人らと試みた昭和51年10月からのもの(3)を含めますと約12年というこ とになります。その「試み」から得られた知見に基づいて本格的に精神衛生相談室の開 設を考えたときに、確かな診断と「みたて」を持っていて、治療という「契約」から負 った義務を約束通りに果たすならば、「治療過誤」などの問題は起こらないとの判断は 持つことができていました。

 そして私は精神分析的な精神療法のトレーニングを受け、精神病院・医療刑務所から 企業・大学の精神保健管理・大学病院小児科、さらには乳幼児の電話相談まで幅の広い 経験を持ちましたので、いかなる来談にも対処できるであろうという自信も持っていました。さらに医師の開業にならい最終勤務病院を開業予定地域内にして、その病院に勤務する間に地域の精神保健業務坦当者らとの連携を密にしてネットワークを作り育てました。 このようなできうる限りの万全を期してのスタートは、絶対に失敗してはならないという使命感のような気負いからだったわけですが、万端整えて臨んでみますとどう考えてもうまく行かないはずは無いように思えました。

 開業当初に不安がないわけではありませんでしたが、来談者の順調な伸びが「案ずるより産むが易し」を実感させてくれ、「やはり思ったとおり」と自信を深めました。分裂病の精神療法のように慎重の上にも慎重にと考えたアプローチがうまく社会に適合したと思われます。「慎重なアプローチ」が成功を支えたのだろうと思います。しかしこの頃に時折感じるのは、治療がうまく行き問題がうまく解決しているのは私の技術によるものではなく、「精神衛生相談室」という名称,「開業心理士」という立場, 「職住隣接」の安心感,さらには私の「人柄や雰囲気」などの方が成因となっているように思えるのです。

ただ単に私を治療者として「気に入る」か「気に入らない」か「好む」か「好まない」かによることのように思われます。 このようなことから"悟り"を開いた私は、「治してやろう」といった積極的な気持ちは なくなり、「もしよろしかったら」という気持ちになっています。また何をもって良いと 判断したのか分かりませんが「良い先生にめぐり合えた」といって一方的に満足し、いままで難治例といわれていた患者が速やかに治癒してしまうことが少なからずあります。

 個人開業で予約制、しかも紹介されてということから、来談する患者は治療者を選んで来談しているわけでしょうから、その分だけ「治癒率」が高くなるわけです。しかし、その内訳は様々であって様々な疾病も含まれていますので、一定の傾向を見い出すことは難しいようです。強いて傾向を見い出すならば、難治例,処遇困難者,いろいろな意味での 「厄介な患者」ということができると思います。そのようなことから、精神病を治療できる技量は必要であり、カウンセリングであるからと、あたかも対象外であるかのように考えるのは誤りのようです。それに応じられる態勢を予め整えておく必要があるのだろうと思います。

 この10間年に治療を求めて来談した方たちの総数は1178名,子のうちコンパニオン・ワーク(4)依頼314名を除いた864名の「治癒率」を見てみますと、完治または寛解で終結した者は697名で80.7%でした(5)。10年たったいま改めて考えてみますと当初の気負いは殆どなくなり、「治ろう」としている患者の「よき隣人」のつもりで接しています。「治療者」であることを意識するよりも、「コンサルタント」でいるほうが、よい結果が得られているようです。


                参考文献


(1) 中嶋柏樹:心理臨床家と個人開業.季刊精神療法,第8巻3号 1982
(2) 内山喜久雄,河合隼雄,村瀬孝雄編:心理療法家と精神療法(分担執筆).金剛出版, 1985
(3) 中嶋柏樹:一私立精神衛生相談室一年の歩み・非医師による外来精神療法
    施設の実験的試み.(東京大学医学部学内発表・非公刊)
(4) 鉅鹿健吉:精神衛生活動における非医療的接近・コンパニオン活動の提起.    季刊精神療法,第2巻4号 1976
(5) 中嶋柏樹:一私立精神衛生相談室10年の歩み・心理士による外来精神療法    施設の実践報告.1988

 

 

 

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