ENGLISH DREAM

− 老後は田舎に住んで、犬を飼い、花を作る−悠々自適の生活 −

コッツウォルドの丘陵地帯

 

 イングリッシュ・ドリーム

 

 かつてヨーロッパはローマ帝国の侵略によって文化が伝播しました。今日、パリが文化の中心地となっているのは、ローマ軍の侵略拠点があったためと言われています。イギリスは占領価値が低かったので、穏やかな支配しか受けませんでした。アイルランドは占領価値がまったく無かったのか、ローマ軍は上陸せず、ローマン・カソリックの布教しかされませんでした。この経験を受け継いだイギリスの支配者は、伝統的に「君臨しても支配せず」を基本的な考えとしています。隷属ではなくて自由を与えられていたイギリス人は機会を得て自らの努力で繁栄をつかみました。そういった流れの中で産業革命の後に「中産階級」が勃興したのです。王族が国を支配して、王族に忠誠を誓うことで貴族が存在しその他は支配される多くの農民や商工業者たちでした。その農民や商工業者たちの中から資力を蓄えた者たちが中産階級を形成し、集団の結びつきを維持するために「公正(フェア)であれ」を鍵概念にしました。

  英国民にとってロイヤル・ファミリーの存在は容認されたものであり、芸能人やタレントの代わりのアイドルとなっています。それに忠誠を尽くす貴族が存在する意義は失われ公正を旨として経済力を持つ中流階層の人たちは現代社会に適合し、その数を増やしました。そして、そもそも上昇欲求の強い中流階層の人たちは、懐古的な憧れをこめて王侯貴族の生活習慣を模倣しようとします。現役を退いたら田舎家に住んで土に親しみ、カントリー・アェントルマン(地方の名士)となって、ゆとりある生活を楽しみたいと考えています。クルツさんご夫妻の水車小屋での新しい生活は、まさにそれであり、実現させたイングリッシュ・ドリームです。

裏庭の芝生で上向きで昼寝するベン

 

 このように「イングリッシュ・ドリーム」は、中流階層の人たちが努力して王侯貴族の生活習慣を模倣するものですが、それに対する"アメリカン・ドリーム"は「歩」が努力して「金」になるようなものです。身体一つで富を獲得し、豊かな生活を得たいと望むことは、アメリカ人に多く、イギリス人に少ないということでしょうか。因習に従って生きるイギリス人には「分限」という考えが残るでしょうが、因習を嫌って新大陸に自由を求めてアメリカ人にとなった人たちには分限という考えは馴染まないのでしょう。 こう考えるとイギリスにはアメリカン・ドリーム的なものは無いようにおもえますが、アメリカにもイングリッシュ・ドリームは存在するようです。アメリカにあって英国貴族の生活を夢見て、家屋を飾りたてて自慢する気持ちは本国人に負けないようです。イタリア人の食い倒れ、フランス人の着倒れと並んで、イギリス人の「住み倒れ」というようです。イタリア人やフランス人のそれは趣味道楽の範疇でしょうが、イギリス人はそれらを遥かに超えています。

 

可愛いお孫さんとハーミィ

 

 「イギリス人にとって、家はかれの城」というように、真剣味はまるで違うようです。フラット(Flat)と呼ばれるアパートからセミ・デタッチド・ハウス(SemidetachedHouse)と呼ばれる二軒続き住宅に住み替えて、さらにはデタッチド・ハウスと呼ばれる一戸建て住宅に住むようになったころから「イングリッシュ・ドリーム」が顕著となり始めます。一戸建ての住宅がいつの時代に建てられたものか、その建築様式にこだわります。

 18世紀から19世紀の中頃にかけてのジョージ王朝風は、直線を生かしたシンプルなデザインがよいとか、19世紀の中頃から20世紀初めのビクトリア王朝風は、屋根が三角で装飾的なデザインがよいとかと、ウンチクをひけらかします。パブでの話題は、家屋についてとホリデーについてが一番多いと言われています。ただモダーンと呼ばれている現代建築は味も素っ気もない様式で、オフィスにだったらよいとしても、住居には向かないと言います。「古いものは良いもの」そして「古いものには価値がある」というイギリス流の考え方は脈々と受け継がれているようです。

 

 

書斎のインテリアは日本の民芸品

 

 ドクター・クルツの水車小屋は400年前に建てられたものだそうですが、400年前といえばチュダー朝の後期で、英国国教会が成立し、スペイン無敵艦隊を激破した頃です。U.K.(ユナイテッド・キングダム)でもG.B.(グレート・ブリテイン)でもない、ウエールズを併合したばかりの只のインギランドでしかなかった頃と思うと、その古さに驚き、それを今まにまで保存してきた努力と愛着に驚きです。そして、この歴史的建造物を守り、次の継承者へ引き渡すまで大切に保存しようとしているクルツご夫妻に脱帽します。

 

 

 

 

 

注・1 サンドリンハム・トランプ

 

 英国王室犬舎サンドリンハムにて作出されたF.T.W(フィールド・トライアル・ウイナー、猟野競技優勝犬)で、王室犬舎を優秀犬輩出犬舎に育てた功績で女王から拝領したW・ダビィッドソン氏が、英国産鳥猟犬の普及に貢献した柳澤嘉男氏(東京都)に割愛したもの。来日して以来、わが国のラブラドール犬の改善向上のために尽くした。その直子たちは、鳥猟犬はもちろんのこと盲導犬、麻薬探知犬、警察犬、そして家庭犬として、あらゆる分野で活躍しています。

 

 

注・2 英国王室犬舎サンドリンハム

 

 歴代の王室で最高の愛犬家として知られるアレキサンドラ王妃が1879年頃から本格的に繁殖飼育を始め、ジョージ五世が引き継ぎ、現エリザベス女王へと引き継がれています。女王陛下はロイヤル・ファミリーと一緒にクリスマス休暇をサンドリンハム御用邸で過ごす習慣があり、御用邸内の教会でクリスマス礼拝を終えると女王が名誉総裁(Patron)のラブラドール・クラブのメンバーたちとF.T.(猟野競技)を楽しみます。女王陛下はご自身で捜索作業をハンドルされるばかりでなく、優秀犬の作出にも興味をもたれ、生まれた子犬の選定も行っているそうです。

 

 

注・3 サンディランド犬舎

 

 グェン・ブロードリー夫人が1920年に創設したもので、繁殖活動は以来70余年続けられています。1980年代に70頭以上のチャンピオン犬を作出し、現在の犬は13世代以上に当たっています。現在の有力なラブラドール愛好家の愛犬の血統図には、必ずサンディランドの血統犬の名前が見かけられます。夫人の飼育活動は大戦中も絶えることなく、純粋血統の維持と資質の向上のための努力が続けられ多大な貢献をしました。ラブラドール犬にとって最高最大の貢献者の一人と言えるでしょう。

 

 

 

注・4 コッツウォルズ地方

 

 The Cotswolds の Cots は羊の囲いで、wolds は共同牧場を意味しています。バースの北から東北にストラットスォードの手前までの地域で、なだらかで緑豊かな丘陵地帯が続いていて、最もイングランドらしいところと言われています。このあたりは中世以降に羊毛で発展したところ。良質で6インチも毛足があるところから、当時はヨーロッパ各国へ大量に輸出されました。織物工業が盛んになり、商人や生産者はうるおい、豪邸が立ち並んでいました。その後に羊毛から綿糸に需要が変わって行くに従って、繁栄は衰退へ変化して行きました。現在は美しい田園風景が広がるなかに、当時の面影を残す村々が点在しています。

 

 

 

 Mail to Taro-Hanako Family

 


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