月刊「狩猟界」誌 安全狩猟への課題分析

誤認と誤射の心理学(1)

心理学コンサルタント 中嶋柏樹

 

 毎年のことながら狩猟が解禁になりますと、必ずのように「誤射事故」が起ります。気の毒で残念なことですが、山の仕事や野良仕事に従事している人たちを誤射してしまったり、ハンティング同行者までを誤射してしまうことが起ります。狩猟目的である獲物と間違えてしまった結果でしょうが、たいがいの場合は、突然、目前に飛びだされたと感じ、瞬間に発砲してしまったということのようです。あまりにも突発で、あまりにも近距離なので、確認する間がなかったというのが主な理由のようです。

  釣り針をつけずに魚釣りをするという哲人が中国の昔話にいたような気がしますが、空砲で猟をして猟獲を期待しないハンターはいないだろうと思います。仮にいたとして、実包は持たずにハンティングに行ってその気分に浸ることで満足し、危険な獲物に出合っても距離のあるうちに空砲で追い払ってしまうなら、誤射事故は起こり得ない安全なハンティングが楽しめると言えるかもしれません。しかし、出合い頭に危険な大型獣と出くわしてしまったら、のんびり楽しんでもいられません。だからといって空き缶を叩きながらでは、なにをやっているのかわからなくなってしまうでしょう。

 

  筆者の私事で恐縮ですが、私の父はハンティングを趣味にしていました。母はいつも獲ってきたカモやキジで料理をされていましたが、獲物の顔を見てしまうと調理するのが嫌になると愚痴をこぼしていました。しかし、鉄砲を撃っていてくれたお陰で戦後の食糧難のときに貴重な動物性タンパク質の確保にも不自由しなかったと言います。そして五体満足な子供を産むためにと、よく叩いて柔らかくして骨ごと食べさせられたと言い、暗に感謝せよと当時を懐かしむように言ったのを聞いた覚えがあります。結果として今日の私があるのですから、ハンティングを趣味にしていてくれた父に感謝しています。

 

 また子供の頃の記憶で、夜遅く猟から戻った父がお酒を飲みながら獲物を並べて自慢話をしているところを、たまたまトイレに起きて寝ぼけ眼で目撃したことがあります。明るく眩しい電灯の下に照り輝く父の汗ばんだ顔を、いまもハッキリと思い出します。しかし父の銃は一度も目撃したことがありません。黒色火薬が天井裏の物置に隠すように置かれているのは、兄と一緒に屋根裏探検をして知っていました。たぶん銃は両親の寝室の納戸に保管されていたのでしょう。

 子供の頃の夢を実現させようと意識したわけではありませんが、警察署へ講習会を受けに行ったことがあります。テストは原付自転車免許程度のものと軽い気持ちで臨み、常識問題だろうから準備は不要と思っていましたら、見事に不合格とされてしまいました。負けん気を起こして再度挑戦とも思いましたが、その気を削いだのはその時に知った警察の管理監督の厳しさでした。 努力して免許をとり高額を支払って猟銃を所持しても、警察側からすれば所持させているのであって、保管や携帯に関する遵守義務を怠ればいつでも取り上げるという脅迫もどきのものでした。あまりの強権的な指導に驚き、煩わしさを背負い込んでしまう恐れから、酸っぱい葡萄でなく猟銃免許の取得を断念しました。

 具体的に考えてみたわけではありませんが、もしハンティングと思ったときには外国でと考えたらずっと簡単に実現できるのではないかと思っています。 このような経験から、ハンティングを身近に感じて育ち、一時期は猟銃の免許を取得してハンティングというスポーツを自分のものにしようと考えた筆者の印象として、管理監督する警察が自動車の運転免許の数倍の厳しさでハンティングと狩猟免許を取り扱っているように思えました。

 

 

誤射事故と交通事故

 

学習理論は人間行動を理解するための基本で

 ハンティングと狩猟免許を考えるうえで自動車と運転免許は参考になり、身近でないものを身近にして理解するために役立つようです。ハンティングの誤射事故に対する一般の人たちの認識は、ハンティングにも誤射にも馴染みがなくて「間違いで起こってしまう不幸な出来事」ではないかと思う程度のもののようです。 そこで馴染みのうすい誤射事故を正確に理解しようとするために、不幸にして馴染みのある交通事故と比較してみるのが一つの方法のように思います。 交通事故は非常に身近で、誰もがひと言ではいい切れないほどの意見をもっています。

 交通事故の原因で真っ先に思い浮かぶのは、スピードの出しすぎと酒気おび運転です。しかしそのほかにも、不整備車の運転からわき見運転まで、数限りない因子が考えられます。そしてすべての交通事故に、多かれ少なかれ”安全運転義務”の不履行があることは誰しもが承知していて、これが主原因であるとする考えも一部にはあります。

 

 これと同じように、ハンティングに無縁な一般の人たちも誤射は「間違いで起こってしまう不幸な出来事」という認識を持つと同時に”事故防止手続”の不履行が、発生した事故にかなりの比率で含まれていると思っています。さらに、自動車は運転の仕方で「凶器にもなる」という言い方に対して、鉄砲には「凶器そのもの」というイメージを持ってしまっているようです。そして、そもそも「凶器を持ちたがる者は」という偏見以上の決めつけがあるようです。

 ご存じのとおり、アメリカで日本人の高校生が射殺された事件がきっかけとなって鉄砲規制の法制化が動きだしましたが、アメリカにおいては無制限に所持されて事故や犯罪に結びつく可能性をもつ銃砲とハンティングのために所持されている鉄砲とに意識のうえでもはっきり区別がついています。そして、そのうえでの法制化の動きとなっているのです。 ところが日本では、そこに区別をつけて考えることができる人はほとんどいないばかりか、そもそもアメリカがそのように明確な区別をして考えていることを知る日本人もほとんどいないのではないかと思います。

 

 アメリカでは鉄砲が身近であるために、危険な鉄砲と安全な鉄砲とに区別できる理解が一般の人たちにあるようです。それに対して日本では、事件や事故の報道で知らされる以外にはほとんど鉄砲に縁がありませんので、暴力団抗争での発砲事件と狩猟における誤射事故に区別をして認識しようとする気持ちからしてほとんどないようです。偏見は差別を生み出しますから、好ましくないことは言うまでもありません。 無知と無理解が偏見を生み続けるかぎり、無知と偏見を問題にしてもなんの解決にもなりません。

  ハンターとしてのマナーを守れない一部の者たちの行動から猟場に立ち入らせないような制限を強める営林署などの考えは、若者は暴走するから運転免許を取得させないようにとする動きと同じです。また最高スピードが80キロ以上とならないような自動車を生産するようにという世論と一緒で、あまりにも短絡的すぎます。

  のんびりと川面を眺めながらチビチビとお酒を飲むのが楽しみで、釣りは二の次という釣師は少なくありません。しかし、のんびりと山歩きをしながらチビチビとお酒を飲むのが楽しみで、ハンティングは二の次というハンターがいるとは思えません。 仮にいたとしても、ベロベロに酔った千鳥足のハンターが銃を杖がわりにして山歩きしているとは到底考えられません。たぶん寒さしのぎに一杯飲んで、ほろ酔い気分でハンティングというのは十分考えられます。いわば”酒気おび運転”といったところでしょうが、これによって誤射事故が起こるとは考えられません。

 

  ”酒気おびハンター”は酒気おびが、好ましくないと承知しています。そして大酒を飲むわけでなくわずかな量の飲酒だからと、酔ってしまわない自信はあります。しかし「酒気おびが事故につながる」と周囲が危惧の念を抱いているのも、煩わしく感じるぐらいに承知しています。意地になっているわけでなくても承知して飲んでいるわけですから、飲みすぎて酔ってしまわないように注意しているのでしょう。そして、暴発や誤射の事故が起こらないように事故防止の安全手順を遵守するでしょうし、目標物をよく確認してから射撃をするでしょう。

 そのようなことから「酒気おびでも事故は起こらない」と言えると思いますが、そのために普通以上に神経を使わなければならないでしょう。疲れは倍増するものと思います。 若葉マークの初心者ハンターはまだ酒気おびハンターとなる余裕はないでしょうから、ベテランばかりのはずです。ベテランばかりですから酒気おびでも思わぬ事故につながらないでしょうが、余分な緊張はここちよい疲労にはならないように思います。ハンティングから帰宅して予想以上の疲労を感じることとなるでしょうから、とうていお勧めできません。

 ご存じのように、猛スピードで自動車を運転する人を、カミカゼ・ドライバーと言います。休暇が自由にとれないサラリーマンが悪天候を承知で釣に行き、船が転覆したり、岩場で高波にさらわれたり、川の中州にとり残されたりという事故が起こりますと、カミカゼ・フィッシングと言われます。 また、スキー場のゲレンデを猛スピードで滑り降りるスキーヤーもカミカゼ・スキーヤーと言われています。そして、狩猟が一部の人たちのものでなくなった今日は、残念でも当然ながら大勢のハンターの一部はカミカゼ・ハンターでしょう。

  思うように休暇がとれず足りない日程を承知で強行するハンター、何が何でも猟獲を誇り実益も得たいと思っているハンター、こういった無理を承知でハンティングをカミカゼ・ハンターと言います。カミカゼ・ハンターはカミカゼ・スキーヤーが夜行日帰りの短い時間内にめいっぱい楽しもうとゲレンデを暴走するように、カミカゼ・ハンターも無駄なく手際よく気持ちから無理を重ねます。事故防止の遵守手焼きは承知していても、いつの間にか疎かになってしまいます。このように、承知していて疎かになるときに「暴発事故」が起こるようですが、何が何でも猟獲を得たい気持ちが「誤認」を生み「誤射事故」を誘発させてしまうようです。

 

 

錯視と誤認

 

錯覚には"思い込み"が影響し

 視覚の錯覚を「錯視」と言いますが、錯視はおおむね”見まちがい”のことです。同じものでも見る者によって、見え方が異なることは誰にも知られています。心理学は経験的にわかっている事象を科学的手法によって実証する学問ですが、そういった心理学が成立するだいぶ以前から天文学の分野で「錯視」は関心を持たれていました。なぜ関心を持たれたかと言いますと、天文観測に測定誤差がつきまとったためです。近くて明るい星にほとんど問題は起こりませんが、遠くて暗い星は観測する者によって個人差がでるのです。見えた時刻と見えなくなった時刻に差がでたり、ある者には見えてある者には見えないということが起こるのです。

 近視であるとか遠視であるとかの視力の問題は論外として、また視認して即ボタンを押す反応時間など生理学的な問題も除外しても、観測結果に測定誤差範囲を越えた個人差がつねに影響を与えたのです。心理学は物理学の方法論で研究を重ね、必要ある求めに応えてより多くの業績が蓄積されたために、知覚心理学の分野が飛躍的に発展しました。それほどに、物理量と心理量の差異、すなわち存在するものと認知したものとの差異に関心が持たれたということでしょう。 科学は戦争があるごとに格段の進歩を遂げてきましたが、新しい兵器が開発されるたびに人間−機械系のソフト技術開発が求められました。

 電探と呼ばれたレーダーが配備され敵艦船の位置を確認したり、来襲する敵の飛行機を早期に発見すると、戦闘を勝利に導くために欠かせね兵器となりました。それに伴って優秀な電探兵を大量に必要となりましたが、誰もがそれに適性があるとは限りません。 電探兵の特殊技術を通信兵なみの技術と同じくらいにする必要があり、電探兵を選抜するための適性検査を開発する必要がありました。レーダー・スコープのさまざまな影像の中から対象物の信号影像の検出や誤検出の危険度を研究するために「信号検出理論」が生まれ、この頃から「錯視」と「誤認」の研究の必要性がにわかに高まりました。そして軍の研究所での研究ばかりでなく、大学の研究者が民需転換後の重要性を認めて電気生理学の手法を駆使して生理心理学的に研究を発展させました。

 しかし、電子工学と人間工学の発展に伴って、電子機器そのものが「錯視」と「誤認」を起こしにくく、たとえ生起してもチェック機能が注意を喚起することでエラーを防ぎます。人間の誤りを機械が防いでくれるまでに発展したということです。その後の「錯視」と「誤認」の研究そのものに大きな発展は見られませんでしたが、研究方向は転進して、人格心理学の分野で発展をみせています。性格特性との関連が研究されていて、性格の硬さと見えの頑さの相関が確認されています。しかし、「錯視」と「誤認」の生起率と性格特性についての研究は進展していないようです。それらに対しての社会の需要がさほど高くないためかもしれません。

 

安全狩猟への課題分析

誤認と誤射の心理学(2)

心理学コンサルタント 中嶋 柏樹

 

刑事裁判における目撃者証言と

認知心理学的鑑定

 

 「錯視」と「誤認」の生起率と性格特性についての研究の成果は、職業適性検査や矯正分類検査などに利用されていますが、近年は刑事裁判において冤罪裁判を誘発する目撃者証言の信頼性を心理学的に鑑定する動きが出ています。

  意図的な偽証ばかりではなく、「錯視」と「誤認」を含めた”思い違い”による証言が事実としてあり得ないことを鑑定によって実証するものです。認知と記憶の心理学的見地から冤罪裁判を防ごうとしています。 過去の刑事裁判において目撃者証言の信用性が争点となり、信用性が甚だしく欠如しているにもかかわらず、それが事実認定されたために無実の人間が有罪の判決を下されるという問題が少なからず起こっています。 例えば、吉田岩窟王事件など有名な冤罪事件を挙げただけでもその数の多いことに驚かされますが、そのなかには弘前大学教授夫人殺人事件などのように有罪判決が下された後に真犯人が現れるという場合もあります。

 いずれも目撃者証言の信頼性と正確さの欠如によって誤って人が裁かれた冤罪の例であり、目撃者証言によって冤罪が発生する危険性があることは、過去の多くの裁判事例が示しています。そして目撃者証言が裁判の焦点になるような場合には、目撃という人間の様々な精神過程が関与する問題であるから、その専門である心理学に意見を求めてよいと思われますが、わが国の刑事裁判においては目撃者証言の信用性を科学的に検討しなくてはならないような場合でも法曹界の凡例踏襲主義に阻まれ、いままでは心理学的鑑定を依頼するケースは皆無といってよいような状況だったようです。

性格「かまえ」が固いと片方しか

 裁判に必要な鑑定は数多くありますが、一般的に広く強い関心を持たれているものに司法精神鑑定があります。犯行時に心神喪失か心身耗弱であるかが量刑に大きな影響を及ぼすために、関係者ばかりにとどまらず多く一般の人たちが強い興味を持つのでしょう。しかし、司法鑑定は、精神状態が正常か異常だったかで有罪か無罪かに強い影響を与える鑑定ばかりでなく、数ヶ月かけて実施する鑑定面接そのものが心理療法の効果をもちあわせています。さらには、たとえ結果が正常と鑑定されても、鑑定から得られた生育史や生活歴が犯した犯罪にいかに影響を与えていたかをも鑑定し、それに見合った情状酌量を進言します。

 正常と鑑定されて無罪を進言された有名な例として知られ、獄中で自伝「無知の涙」を出版した連銃拳銃射殺事件の永山則夫死刑囚は、そのために処刑は保留のままになっています。 精神鑑定に精神状態が正常であったか否かばかりを求めるのではなく、社会の貧困が犯罪を誘発していた事実を直視して、犯罪を犯した者ばかりにその責任を問うのではなく、社会と行政にも責任を問うことで犯罪を防止できるようになっていって欲しいと思います。

  法廷で心理学が重視されてきたことは、人的要因をより正確にできるばかれでなく、予防できる犯罪の発生率を減少させることができることを示唆しています。

 

 

警察、自衛隊、米軍などにおける

誤認、誤射の取り扱い

 

 心理学の研究者は大学ばかりでなく、警察、自衛隊、米軍などに大勢います。大学では基礎研究が中心であって、警察、自衛隊、米軍などでは応用研究が中心であると考えられていますが、実際はほとんど同じと言ってよいようです。

 そこで誤認と誤射の安全対策について詳しい話を聞くために警察の研究所にいる知人を訪ねてみましたが、警察官の銃器の所持と使用に関する安全基準によると、求められているものは「適切な判断」と「周到な確認」でした。 警察官が拳銃を使用するときは、使用が許可される状況でなければなりません。しかも適切な部位に必ず命中するように射撃しなければなりませんから、間違っても通行人や警察官などを誤射するようなことにはなりません。 警察官と犯罪者とでTV映画のような銃撃戦になったとしても、実際は組織で対応するために個人の独走は許されていないので、誤射を含めた不適切な行動は起こり得ないようにコントロールされています。誤認と誤射が起こらないよう、しっかりと規制されているのです。

 自衛隊は最寄りの基地や駐屯地に種々の部隊がありますが、訪ねてみて驚いたことには、どこも銃砲、武器には無縁で、武装集団というイメージとは正反対にまったく無防備だったのです。ゲートには立哨が弾帯をつけてライフル銃を持ち、警衛所の幹部隊員は腰に弾帯と拳銃のホルスターを釣り下げていますが、弾帯には弾倉は入っておらず、ライフル銃にも弾倉は装着されていません。ホルスターには弾倉が抜かれた拳銃が収まっているのだろうと思いましたが、拳銃が収まるのは演習のときぐらいでごく希だそうです。 平時に基地や駐屯地を警備する警衛隊は、企業を警備するガードマンと同様の機能のようです。そのために任務は初期警備のみとなっていて、その先は警察に引き渡すことになっているようです。

裏は官舎で通用口があり、出入りは自由で

 例えば、侵入者を歩哨が発見したときには110番通報で警察官に逮捕してもらうことになっているようです。また、自衛隊の警務隊は部内向けの警察組織ですから、隊員には警察活動を実施していますが、対外的には同様にガードマンであって、部内犯罪を摘発して被疑者を拘束しても直ちに警察に引き渡すようになっています。そして、警察が捜査するときには円滑に運ぶよう、協力するように義務づけられているとのことです。このように、いずれも企業の警備係員のようなものですから、意外なようでも平時の自衛隊が銃器で武装していないことに納得できました。しかし唯一、師団規模の部隊には武器隊が組織されていて常に使用が可能なように整備し管理しているそうです。そして同時に必要量の弾薬を保管しているとのことです。

 自衛隊員は銃器や射撃に縁が深いものと思っていましたが、新入隊員の教育訓練の段階で体験射撃を経験するだけのようです。警察官の銃器や射撃との係わりと比較してみたらほとんど無縁といってよいものであることがわかりました。 武器と無縁の自衛官とは意外でしたが、銃を持って射撃をするときは指揮官の指示どおりに行動することになっているので、誤認も誤射も起こりえないこととなっているようです。 防衛庁技術研究本部と航空宇宙医学研究所の知人によると、研究者たちのなかに知覚心理学と認知心理学を専門にする者はいても、誤認と誤射を研究テーマに選ぶ者はいないと言います。この研究は半世紀も前にやりつくされ、目覚しい成果もなく終ったとのことです。

ゴルフも乗馬もキャンプも只同然の使用料で

  研究されていないテーマは研究しても意味がないか、研究することが不可能なためという言い方があるそうで、誤認と誤射の研究は、その例としてもよいくらいのものだそうです。誤認と誤射の予防は「どうしたらよいか」から、とっくに「わかっているけど」なのだそうです。交通事故の防止と同じようなもののようです。 米軍の安全対策は自衛隊のそれの”本家”のようなものですから、自衛隊を見学し意見を聞かせてもらい、されに米軍を訪ねるのは不要かと思いました。しかし、米軍にコネクションのある知人から快諾が得られたとの連絡がありましたので、せっかくの機会と思いお訪ねすることにしました。

 アメリカ海軍の佐官待遇の技官で、横須賀基地の適性班長をしている心理学者だそうです。そこで横須賀基地へお訪ねするのかと思いましたら、空軍横田基地の友人家族と一緒に週末を米軍レクリエーション・センターで乗馬をしてすごしているのだそうです。米軍レクリエーション・センターは旧多摩弾薬庫跡地のことですから、筆者の自宅の目と鼻の先です。 ホース・トレールはできるかというので、振り落とされない程度には乗れると答えると、一緒にトレッキングをしようということになりました。

  

 横田基地の友人は戦闘機のパイロットなので、航空身体検査と射撃適性検査を定期的 に受けているとのことです。受けている側からも詳しく聞けるのでよき機会ではない かと勧めてくださいました。お訪ねしたいお二人が訪ねて来てくれるようなものです から、願ってもないことです。米軍のレクリエーション・センターになっている旧多摩弾薬庫跡地は稲城市の多摩丘陵の一角にあります。いつのまにか周囲ぐるりは宅地化されてしまいましたが、ゴルフ場もある広大な敷地はほとんど手つかずの自然が残されています。 馬場と厩舎にはサラブレッドよりも圧倒的にクォーター・ホースが目だちます。

 ウエスタン・スタイルの騎乗を好む、いかにもアメリカの乗馬クラブといった印象です。ホース・トレールは谷戸を上り尾根を越えるコースでたっぷり半日は楽しめます。地内は軍関係者でも許可なく立ち入れないところで人家も人影もまったくないところですから、いきなり深山のようで日本のようではありません。ゴルフ場では日米友好コンペで日本人がプレーすることがあり、他の地域ではボーイ・スカウトが合同訓練をする程度のようです。米軍も「誤認」と「誤射」の研究はそれなりの成果を得てしつくされ、現在は事故が起きたときに原因究明のための研究班が編成されて調査をする程度なのだそうです。 「誤認」と「誤射」対策の主力は予防であって、「適性検査」と「ハイテク化」に力点がおかれています。

 適性検査によって新兵訓練の段階から選別して、術科学校入学適性選別、そしてコース・アウトなど幾重にもチェックされるようになっているようです。歩兵でも銃器の火力の大小に適した人選をし、不適者は新兵訓練期間以降は銃器と無縁な衛生、給養、補給など後方支援業務に携わります。また優れた適性があると認められた者は、狙撃兵やオリンピック選手のコースを歩んだりします。 最も厳しい適性能力が求められている戦闘機のパイロットは、最終過程を無事終了して任務についてからも健全な心身を維持し、必要な能力が発揮できているか、航空医学心理学的に年数回も定期チェックを受けさせられています。

  低温低圧環境での低酸素症、縦横2軸旋回で生じる見当識失調、プラス方向過重Gで生じるブラック・アウトと呼ばれる脳貧血による一過性の失明と、マイナス方向過重Gで生じる脳血圧亢進による一過性の視野赤暗化、そして動体視力の低下と視野狭窄など、任務遂行に支障をきたすばかりでなく事故にも繋がる多くの危険に囲まれています。さらには、うっかり発泡飲料を飲んで低圧の高空で耐えがたい腹痛を起こしたり、過労や深酒で体調を崩すと耐性が低下しますので厳しい自己管理が求められています。

 

 

 

安全狩猟への課題分析

誤認と誤射の心理学(3)

心理学コンサルタント 中嶋 柏樹

 

 

米空軍、航空自衛隊、運輸省航空局の

ヒューマン・ファクター調査委員会の見解

 

 運輸省の航空機事故調査委員会のヒューマン・ファクター調査班長である大学教授は、米空軍も航空自衛隊も、そして運輸省航空局もまったく同一の理念に基づいて航空機事故の原因究明にあたっていると言います。 誤認と誤射の問い合わせについては、半世紀前のテーマであり、解決済みのテーマだと言います。誤認と誤射の問題は、交通事故と交通違反同様に、公務のように管理された状況ではほとんど問題にならない生起率だと言います。

 誤認と誤射が起こりうるメカニズムも解明されているので、それに対応するマニュアルも整備されています。そのマニュアルの指示どおりに対処すれば、不可抗力の事態以外にはまったく誤認と誤射の事故は起こりえないということです。 米空軍と航空自衛隊のパイロットと民間航空会社のパイロットのジョブ・トレーニングでは、「リスク」をテーマにした教育に重点がおかれているようです。リスクは「危険」という意味ですが、人間の心理には自らリスクを求め、恐怖を克服したいと望む欲求が潜在します。リスクは魅力的で、それと闘うことに興奮を覚えます。しかし、リスクを実際よりも小さく見誤りますと事故につながります。人間は、どのような状況においてリスクを過小評価するのかと言いますと、

  第一に、無事故が長く続いたときには気持ちがゆるみ、注意力が散漫となるその油断をした状態。
 第二に、目標達成への過剰意欲。ロングドライブで目的地の近くになると、急ぐ必要はなくても休憩をせずに到着しようと無理してしまう状態。
 第三に、周囲の状況や先導者につられて判断なしに従ってしまう、高速道路で車間距離をとらずに走行する状態などを言います。

 米航空宇宙局が開発した緊急事態回避指示書で通称SUGと呼ばれているマニュアルは、Severity(事態の重大性)、Urgency(緊急性)、Growth(被害の拡大傾向)の判断を軸にして作成されていて、どのくらい急いで対応せねばならないのか、危険は拡大しているのか、と点検する思考様式をフローチャートで示しています。

 しかも不慮の事態に対処するためのマニュアルであると同時に事故を未然に防ぐマニュアルであるところがミソであり、最先端科学の周到さのようです。 事故を未然に防ぐマニュアルと、不慮の事故に対応するマニュアルに指示された行動を確実に守れば、ヒューマン・ファクター事故は起こり得ないということのようです。 誤認と誤射についても、誤認を起こりやすい状況には確認の指示がありますし、確認したことを入力する確認ボタン(または音声入力)を押しませんと、次の行動を実行する許可が指示されません。

  誤射は戦闘機のパイロットと爆撃機の射手ぐらいにしか該当しませんが、一般的には誤動作が起こらないようにする手だてとしては、チェック事項をすべて確認したという同様の入力動作を行わないと作動しないようにできているとのことです。しかもパイロット一人の判断で操縦することはなく、必ず複数でかつ地上からコントロールされているわけです。さらにはフライト・レコーダーはありますし、任務終了後には適切な任務内容であったかチェックされるのですから、誤認と誤射は起こしたくても起こせないシステムになっているのです。

 それでもと、誤認と誤射が起こりうる状況を考えてみますと、免職になりたくて故意に起こすような場合しかあり得ません。そして、このような例が仮にあったとしても、定期的な航空医学心理学検査でチェックされるので、それをクリアして任務につくことにはならないと言います。

 

 

「誤認」と「誤射」に対する心理学的解釈

 

 心理学は実証の科学と言われていますが、その研究の方法には実験法と調査法、それに事例法とがあります。「誤認」と「誤射」という問題の実験法としては、ほんの一瞬提示された影像を正しく視認できる時間を測定して、その結果を解釈します。

 調査法はアンケート用紙に回答を記入してもらい、統計処理し、平均的な意識と行動様式を抽出します。そして、事例法は数人から十数人程度の人たちの意識を主に面接手技によって詳しく聴取し、事例に共通した意識と行動様式を確定します。
 「誤認」と「誤射」という問題を、実験結果の発展型である「適性検査」でハンターとしての適切、不適切を選別しますと、それがそのまま「誤認」と「誤射」を起こしやすいハンターと、起こしにくいハンターに選り分けることができます。 しかし、この検査で好結果を得た”丸適マーク”のハンターは誤認せず、誤射事故は起こさないというふうなわけにはゆきません。

 残念なことに、この検査結果と必ずしも一致するとは限らないのです。 質問紙法も結果を、そのまま鵜呑みにするわけにはゆきません。心理検査でも投影法という高度なテクニックを用いますと防げますが、回答に丸をつけてもらう方式ですと、事実よりも好ましいと思われるものに丸がついてしまいます。 ライ・スケール(うそ尺度)という質問を混入させて、事実に反した回答を摘出することもできますが、質問の全体数が多くなりすぎて実用向きでないようです。「誤認」と「誤射」という問題を心理学的に扱うには、事例法によるケース・スタディが最適で、実際に役立つように思えます。

 ハンターの年齢と職業などで典型例を選び出します。例えば三十代の自営業とか、五十代の企業管理職などというように分けて、面接調査に応じてくれる人に実施します。 この方法をとりますと、被面接者の人柄そのものや、発せられる言葉の背景や裏までが聴取できて、事実を抽出することができます。 面接調査に応じてくれる人は、ルールやマナーをわきまえたハンターであると自認しているようで、「誤認」と「誤射」とは無縁であることが当然のように前提となっています。そのためにか、自分たちのようなハンターとはまったく別のハンターとして、「誤認」からの「誤射」事故を起こす”ハンター像”を解説してくれます。

"見え方"は生活文化暮らしぶりで

 その"ハンター像"は、感覚的には第一印象からして危なっかしくて、とても一緒にハンティングへ行こうという気になれないような人だそうです。そういう人は普段から銃に慣れておこうとする気持ちはなくて、射撃場へ通って練習することが必要と考えていないのです。 狩猟解禁になったときにしか銃を手にすることがないので、自信をもてる射程距離を延ばすことができません。このことは獲物を発見すると、すぐに発砲することになってしまいます。そして、はやる気持ちが「誤認」を起こさせ、さらにはしっかり見て確かめる瞬間も持てなくなって、獲物がいるような気がしたとか、いたように思っただけで発砲してしまうことになるのです。愛犬を「誤射」してしまう、不幸も起こります。

 グループ・ハンティングでは、射手役となったハンターは勢子役のハンターたちの圧力で、「誤認」と「誤射」を起こしやすい構造があります。勢子役ハンターたちの熱い期待を一手に受け手の射手役は荷が重く、獲物を射止めて当然というのは辛いものです。もし獲物を撃ち損じたら、言葉で非難されなくても、厳しい視線に耐えがたいものを感じるでしょう。しかも、ハンティングには気にならない以上の費用がかかり、獲物が換金できるものですから、獲れても獲れなくてもどちらでもよいというわけにはゆきません。わざと撃ち損じるわけではないし、お互いさまだからと思いつつも、撃ち損じまいとする気持ちが強いと、はやる気持ちから「誤認」と「誤射」事故を起こしてことになります。

 そして、はやる気持ちでは「確認」する余裕がなく、ガサゴソという物音や動きだけで発砲してしまい、「誤射」事故を起こしてしまうのです。 解禁に備えて射撃場へ通うなど、日頃から銃に慣れておこうとしないタイプ。狩猟歴十数年を誇っていても、出猟回数は10回に満たないほとんど初心者のままのタイプ。こういったタイプは、高性能スポーツカーや4WDオフロードカーの威力で劣等感を補填し、”ハンドルを握ると別人のよう”と言われている人たちのように、ハンティングそのものより銃の持つ強大な破壊力に魅せられ、それで人格を武装してしまっているのです。 ”銃を持つと別人のよう”になり、攻撃的な自信家になります。

 

 しかし、根底にある劣等感は不変のままですから、慎重や謙虚などを求められると、そこに触れられる恐れを感じて曲解し、かたくなに意地を張り、無理を強行します。 マージャンやゴルフを一緒にやっても楽しくないタイプ、一緒にやりたくないタイプと同じで、さらに同行すると少なくとも一、二度は危険を感じさせられるタイプということになるのでしょう。 ハンティングと言っても、いろいろなハンティングがあります。それをひとまとめにして考えることに無理を感じるかもしれません。しかし、共通した部分で「誤認」と「誤射」を考察してみますと、その原因を極めて基本的なところに求めることができます。

  心理学的には「意識改革」と「行動変容」で対応できますが、「誤射」事故を起こした人たちに法的に適用することは十分可能でも、予防的に適用することは”保安処分”に似て支持が得られないでしょう。これを「ルールとマナー」として考えるならば馴染めますし、支持は得られるでしょう。「ルールとマナー」を教育の問題として考えて、スーパーヴィジョン(監督的指導)システムを普及し、機能させたならば、効果が見込めるでしょう。 人間の行動特性には、環境に機能的に働きかける「オペラント」という自発行動があります。環境に触発されて反応する「レスポンデント」に対して”自発する反応”と言えましょう。 棒を持ったら叩きたくなり、銃を持ったら撃ちたくなります。自制していると撃ちたい気持ちは昴まります。

 ハンティングに行って一発も撃つ機会がなかったら、柿の木に一つ残る赤い実でも、水面を流れる小枝でも撃たなかったらおさまらないでしょう。人間の心理にこういった特性があることを承知しておくことも大切なことでしょう。

 

 

  
もどる