英国王室犬舎サンドリンハム

 

                

緑一色の平野の真っただ中のこんもりとした
 森の中にサンドリンハム御用邸はあります。
  

 

英国王室犬舎“サンドリンハム”の伝統

 

 イギリス人がずっと昔から、犬に対する格別の深い愛情をもって、今日にいたっていることは、伝統的とも言える歴史的な事実として、世界の人々にも知られています。こうしたことは、イギリス国内においてヘンリー8世の頃から、とくに顕著に見かけらるようになってきたと言われています。

 

御用邸を目指してたどり着くとカントリー
パーク。この御紋樟が輝く鉄扉を発見してホッ。

 

  もっと近年になっては、ジョージ5世の祖母君のアレキサンドラ王妃が1891年のクラフト展に、いろいろの犬を展示されています。故エドワード7世も、王子の頃から、またその後王位を継承されてからも、クラフト展に愛犬を展示されたのです。

 

ヨーク・コテージ・レイクからアッパー・
レイクとザ・ハウスを眺む女王陛下と愛犬たち。

 

 王室の方々のなかでも、とくに最高の愛犬家として著名なアレキサンドラ王妃が、初めてサンドリンハム領内の小さな村の名前である“ウオルファートン”を、王室の犬舎名として決めるとともに、1879年頃に繁殖飼育を始められたのです。後年、ジョージ5世が、ウオルファートンの犬舎名を引き継がれて、黒のラブドール種の繁殖をはじめられて、数多くの優秀犬を作り、ドッグ・ショーにも愛犬たちを公開されました。

 

邸内の池は野鳥の天国です。野鳥にとって冬季
は餌の確保より水を得ることの方が大変とのこと。

 

 それらのなかには、6回もの優勝歴をもつウオルファートン・ベンといった犬がいましたが、ベンはチャンピオンのタイトルはとらなかったのです(それは、当時の王室の犬は、けっしてフィールド・トライアルに出走させなかったからだ、と伝えられています)。

 

御用邸のスタッフ。前列中央で黄ラブを従える
犬舎支配人・トレーナーのビル・メルドランさん。

 

 サンドリンハム犬の優秀なタイプと、卓越した作業能力は、とりもなおさず、国王陛下自らによる、ゆきとどいた監督と指示、さらに愛犬への絶大なる興味と深い愛情に由来すると言われています。王室犬舎のものの多くの血統ラインは、ウイットモアとバンコリーの血統に由来していると言われています。 当時の猟場の番人長はF.W.ブラウンド氏で、44年もの長い年月のあいだ、王室に仕えた人でした。 ジョージ5世は、彼の献身的な業績に報いるために、多くの愛犬のなかから、とくに選りすぐられた牝犬のサンドリンハム・ソーダを贈られたのです。この犬はウイットモア・トイと、ウオルファートン・ソロとのあいだに生まれた牝犬で、その後、かけがえのないほどの、優秀な台牝としての立派な成果を挙げたと言われています。

 

御用邸のスタッフ。前列左端のアン・メルドラン
さんは、御用邸滞在中の女王陛下の警護主任です。

 

 国王陛下が格別に愛育されたのは、次の3頭の犬たちで、それはスクラム(オーストラリアのラグビー・チームが、ちょうどサンドリンハムを訪問したときに、この子犬が生まれたので、この名前がつけられたといった由来のある犬)と、サイモンと、ボブ(国王陛下は、ご自身の愛犬のなかの1頭に、かならず“ボブ”という名をつけておられた)たちでした。 この3頭の犬たちは、他の犬たちとは違う特別扱いを受け、管理も特に選ばれた人たちにさせるといったほどで、バルモラルにお出かけのときには、いつもお供をしたのは、彼ら3頭だけだったと言われています。 当時の審査員は、スクラムについて、次のように評していたのです。

 

右下のヨーク・コテージの下方に犬舎がある。
教会から下方もFT時以外は一般立ち入り禁止地区。

 

「希に見る老哲学者のような風貌をしているスクラムは、常に沈着冷静で、まるで世の雑事には無関心とでもいった、誇らしげな態度をしていた」と……。 なお王室犬舎のその他の犬たちのいずれも良性能であるとともに、活動的であり、まったく疲れを知らない立派な作業犬たちであると、国王陛下は、王室犬舎のその他の犬たちのことも話しておられたのです。 故ジョージ5世の好みは、黄色の犬だったようでした。 愛犬たちは専ら狩猟の同伴者として飼われていて、展覧会には姿を見せることはなかったようです。1848年のサットン・スコットニィでのケンネル・クラブ主催の、賞金付き競技会で優勝したのは、ウインザー・ボブですが、彼は、ダブル・ウイナーのステインドロップ、サイディヤーと、マックファーソン婦人のF.T.CH.ブレヤロイ・ルディとのあいだに生まれた黄色の犬でした。

 

女王陛下は愛犬をつれて邸内を散策し、摘み草を
したりキノコをとり、手料理を振る舞うそうです。

 

 このボブは、ウインザーの番人頭のジョージ・ハレット氏に飼育されるとともに、訓練されたのです。 当時の審査員の1人だったリッドレイのサウンダー氏は、ボブの作業ぶりの優秀さについて、「あなたがたは、ハレット氏が笛を持っていたとは、まったく気づかなかったことでしょう」と話していたほどでした。 現エリザベス女王2世陛下は、黒のラブラドール種がお好きのようです。ときには自らがハンドルされることもあると聞いています。また、年1,2回はトライアルを観戦されることもありますが、その場合もラブラドール種のトライアルであることが多いとのことです。 なお女王陛下自らシングルおよびダブルのリトリーブを行われたり、クオーターリングを主とする捜索作業をハンドルされるとも話されています。そのとき犬たちは常に女王陛下の命令を待っていて、人と犬との完全な調和、連絡が非常に印象的であり、また完璧なものであったと報じられています。

 

メルドランご夫妻からのクリスマス・カード
は、御用邸ザ・ハウスの油画聖母子像である。

 

 また女王陛下は、作出に対しても大きな興味をもっておられて、生まれた子犬たちの選定もご自身で行われ、それぞれの子犬たちに将来への望みを託され、飼育と訓練にしばしの時を過ごされることもあるとのことです。 近時の1962年にカーティス氏のハンドルによって、エセックス・フィールド・トライアル・ソサイエティにおいて、年齢別制限なしの賞金付き競技会で優勝の栄誉を獲得している、F.T.CH.サンドリンハム・レンジャーという、体型の優れた性能抜群のラブラドール種のことは愛好家のあいだで絶大なる称賛の言葉をもって語られています。 1886年、ウェールズ皇太子は“サンドリンハム”の犬舎名を手に入れられました。犬舎は大変美しく設計され、ゆきとどいた管理が施されています。 近くには、広い訓練用のパドックが作られていて、若いウサギが走り回っています。また、ほかに針金で囲まれた細長い場所には、だんだんと高くなるジャンプ台が設置されており、そのうちの1つには、5フィート半ぐらいの高さと目測されるものもあります。

 

女王陛下は黒ラブがお好きであるとのこと
しかし、ダックス・コルギーも愛犬の一匹。

 

 イギリスでのトライアルと狩猟は、自然に広がっている田園の畑のまわりで行われているので、すべての犬がゲームを運んでくるとき、ジャンプをして、障害物を乗り越えないといけないといったことが多く、そのため、すべての犬にゲームをくわえて、ジャンプすることを教えるのです。 また、あるときにはゲーム回収の際、5本の横木をわたした門や、垣根とか、ときには有刺鉄線の張られた柵を越えないといけないこともあるので、どの訓練用の犬舎にも、一連のハードルの準備がなされています。サンドリンハムの血統犬たちは、いずれも共通したタイプと特性を持っていて、それぞれサイズも中位で、作業犬としての望ましいタイプのもので、すぐれた性能と、旺盛な気力の持ち主であり、また品位に富んだものたちばかりです。サンドリンハム犬舎の犬たちは、将来、かならずや計り知れない満足感と、引き続く成功の喜びを、女王陛下にもたらすに相違ないと確信されています。

 

女王陛下はFT犬の育成に強い興味をもっており、
持来の訓練にも従事し、優秀犬の作出に意欲的です。

 

 

 

 

黄金時代に活躍した人々と犬たち

 

 1914年から、1918年までつづいた第1次世界大戦のために、文明社会においては、各分野において過大の影響を受け、分裂の兆候が見られたのですが、幸いなことに、犬の世界では、さほどの被害を受けずにすみ、かえって、その後の20年間において、犬種の改良とかその質の向上といった面で、目覚しい発展が見られたのです。 ラブラドール種の世界においても、優秀な犬舎の各オーナーたちの格別の協力によって、血統やタイプの固定、資質の安定といったことに多大の努力が払われたので、犬質のレベルの高さは、二度と同じレベルのものにしようと試みても、とうてい容易には達せられないだろうと言われるほどのものまでに到達したのでした。それはまさに犬種の発展史のなかの黄金時代とも言われるものでした。 が、ついで、勃発した第2次世界大戦とその後の大混乱期のために、ラブラドール種のことも、忘れさられなければいけないといった、一時期を送らねばならなかったのです。

 

クリスマス休暇にはロイヤル・ファミリーが
全員集合し、邸内にあるこの教会で礼拝します。

 

 しかし、このような苦難の時代にも、先人の努力によってハイレベルのものに向上された、ラブラドール種の能力の維持や、タイプの安定化のために貢献し、次の世代の愛好家へと伝えていくといった有意義な仕事を成し遂げた犬舎とそのオーナーたちのなかでも、特に燦然と輝く実績と成果をもって、犬質の向上と安定のために最大の貢献をしている、バンコリー犬舎のハウエ伯爵夫人、その人と価値ある仕事は、ラブラドール種界の救世主的存在として語りつがれています。 このことについて、マッケイ・サンダーソン氏は、次のように言っています。「この犬舎は、その時代における他のどの犬舎よりも、輝かしい成功の実績を挙げ、ラブラドール種の世界に絶大の貢献をしてきたのです。この立派な仕事の成果は、他の犬舎のそれと比べるとしたら、たとえ相当のハンディーをつけていっても、とうていおよびもつかないといったほどに優れたものでした。

 

メルドランさんとスタッフは、毎日一匹につき
20分づつ訓練を入れ、常にベストを維持している。

 

 なおその実績は、その時代においてよりも、むしろ後世になって、 さらに大きく、また、より多くのラブラドール種の愛好家から高く評価され数多くの賛辞がおくられているのです。そのことは、バンコリー犬舎の名が、いつの世代においても、品質証明のためのかけがえのない、“ラベル”となるだろうとさえ言われていることによって立証されています」。この偉大なバンコリーの犬舎名のついた数多くの犬たちは、当事、世界の各地で大活躍したのですが、それらはいずれもハウエ伯爵夫人が直接繁殖、飼育したものとか、あるいはほかから購入し飼育したものたちにも、すべてバンコリーの犬舎名がつけられていたのです。というのは、それらの犬たちは当時、イギリスの各地で活躍していた数多くのハウエ伯爵夫人の支持者たちが指導を受けながら、協力して作った犬たちだったからでした。

 

犬舎管理棟の前でアンとピル・メルドラン
ご夫妻。渋めのダンディ氏もこの時はニコリ!。

 

 ハウエ伯爵夫人は、自分が求めたいと思った犬を探し出し、後日、それらの犬たちを大成させるといった特別の才能を持った人であったとともに、常にそれぞれの犬たちの将来性についての正確な判断力にもとづいて行動していたのでした。このことについては、当事、誰もが認め感服していたと語りつがれております。 ハウエ伯爵夫人は、常に根気よく、最高の犬質のものを求めつづけるとともに、そのためには、その犬質に該当する最高の評価額で、それらのものは求められるべきであるとも、いったことにも気づき、それを身をもって実行に移し、一般愛好家に範を示したのでした。ハウエ伯爵夫人の所有した犬の名前は、あの高名なボーロ−から、第2次大戦後のCH.ブリティッシュ・ジャスティスにいたるまで、すなわちラブラドール種の犬舎のオーナーとしての積極的な活動をやめるまでの永いあいだ、 全世界のラブラドール種の世界に誇らかに語りつがれていたのでした。

 

 

応接間のマントルピースの左壁には、あの
サンドリンハム・シドニーの油絵が架かってる。

 

 そのなかでもことに、天才的トレーナーと言われたトム・ガント氏と組んで、積極的に活躍していた年月のあいだ、このチームには負けると言うことは、縁のない言葉のようですらあったのです。なおまた当時、この2人の興味をひくような優秀な犬は、他のどの犬舎にも見当たらなかったとまで言われていたのでした。多年の犬舎活動のあいだにバンコリー犬舎においては、4度のデュアル・チャンピオン、29回のショー・チャンピオン、さらに7回のフィールド・トライアル・チャンピオンタイトルといった、各種のタイトルを獲得する犬を作ったり、その他、数え切れないほどのC.C.カード(チャンピオン挑戦資格証明書)を取得した優秀なラブラドール種を作っています。 さらに、これらの犬たちのほかにも、少なくとも30を超えるチャンピオン犬が、バンコリーの犬舎から、世界の国々へと送られ、活躍しているのです。そのうえ16頭のフィールド・トライアル・チャンピオン犬が、バンコリーの血統犬としてあげられていました。

 

アフターヌーン・ティに、アンさん自慢の
クッキーとマフィンをご馳走して下さいました。

 

 ハウエ伯爵夫人は、ラブラドール種の改善と発展のために貢献し、特筆に値する成果を挙げたのですが、この仕事に大きく協力した猟場管理人と言った人たちの陰の力も見逃すことはできません。ハウエ伯爵夫人は、これらの人たちの活動を積極的に援助し、ラブラドール種の改善と発展のためのバックグラウンド作りにも努めたのでした。このため毎年催されるクラフト・ドッグ・ショーに、彼らを招聘し、特別の講習会を開いたり、ときには、経済的援助の目的のために、トライアルに特別の賞金付きの競技会を開催するといったことも試みたのでした。 親密な交友関係で結ばれた猟場管理人の人たちは、当時、フィールド・トライアル・クラブの重要なメンバーとなり、しばしば委員会で活躍して、ハウエ伯爵夫人の最高の協力者としての役割を果たしたのでした。 1925年、DUAL.CH.バンコリー・ボーローの直子の、F.T.CH.カークメイホー・ローバーは、ナショナル・チャンピオンシップ大会で優勝しました。

 

犬舎の訓練場は、教会の南こんもりとした森の中
の広々した原っぱです。勝手に準備し指示を待ちます。

 

 この犬は猟場管理人のものでしたが、あとにバンコリー犬舎に迎えられて、種牡犬として活躍しました。DUAL.CH.ブラムショウ・ボブの母犬のブラムショウ・ブリンブルと交配されて、CH.バンコリー・ブラックベリーを世に出すとともに、ボブの同胎の牝のCH.イングレストン・ベンに種付けされて、レディ・オブ・アーロアを世に出しました。ハウエ伯爵夫人が、最初に持っていたラブラドール種は、F.T.CH.ピーター・オブ・ファスカリーの息子のスキャンダル・オブ・グリムという犬でした。このスキャンダルは、1915年に、13頭の子犬を生んだあと、5歳で他界したのでした。さらに不運なことに、それら子犬のうち、成犬となったのは、たったの1頭だったのです。その1頭の犬こそ、後日、バンコリー犬舎の高名を挙げるために活躍したバンコリー・ボーローとなったのです。

 

夏犬舎は木製金網張りですが、冬犬舎は窓の
小さいレンガ作りの犬舎です。夏犬舎前で記念撮影。 

 

 1920年に、ボーローは、初めてフィールド・トライアルに挑戦したのでした。このときボーローは、すでに5歳になっていたのですが、見事立派に活躍するとともに、その年のうちに、トライアルに挑戦し見事優勝して、フィールド・トライアル・チャンピオンのタイトルを獲得したのです。そして1922年にはデュアル・チャンピオンのタイトルをも獲得しました。こうした彼の立派な活躍の跡をふりかえって見るとき、その背後には運命的なものをすら感じられるのです。ハウエ伯爵夫人が、ボーローを他所から引き取ったとき、すでに彼は2歳になっていたのでした。彼には大変に悪いくせがあり、そのために、数多くの訓練士が扱いきれないためにサジを投げ、たらい回しにされていたのでした。ハウエ伯爵夫人は、こうした諸般の事情を十分に承知のうえで、彼を引きとったのです。そのとき、前のオーナーは、次のような注意事項を申しそえたと言われています。

 

石垣や生け垣を飛び越える訓練を受けているの
で、手をパンと叩きジャンプと叫ぶと抱っこする。

 

 

 「もし彼が、貴女と反りが合わないといったことを知ると、きっと彼は、貴女を噛み殺しかねませんよ」と。すべてを承知のうえで彼を引き取ったハウエ伯爵夫人は、以来、親身になって面倒をみたのでした。成長する過程において、彼は二度も死に直面した大病をしたのですが、ハウエ伯爵夫人の献身的な看病によって命をとりとめ、 立派に成長していったのでした。やがて彼は、夫人のこの寛大な心情に心動かされ、しだいに信頼と愛情の念を示すようになっていき、ユニークで、性能抜群のチャンピオン犬としての栄光の道を歩みつづけたのです。 イギリスのケンネル・クラブ発行の『ザ・ブリティッシュ・スタッド・ブック』に書かれている、サンダーソン氏のボーローに対する賛辞を引用してみることにします。それはボーローについて、これほど適切に書かれたものは、ほかに見当たらないからなのです。

 

アンさんは訓練場への往復で、野草を次々探しポ
ケットへ無造作に詰め込む。ディナーの食材である。

 

 

 「彼の全体像から推察される、完璧な体躯の構成と、その均整の見事さといったものは、マルメズバリーズ・トランプから受け継いだ血統の証しとして、多大に評価されるものであって、ボーローの出現によって、トランプの再来を伺わせるほどのものだったのです。さらにそれは、スキャンダル・オブ・グリーンからF.T.CH.ピーター・オブ・ファスカリーにと続く、一連の血統によるものであることをも立証するものなのです。トランプが、ラブラドール種の世界で活躍した時代から、およそ40年後にあたる、ボーローの出現までのあいだには、体躯構成が優れ、あわせて優秀な性能をも併有するといった犬を訓練するといったことは、とうてい想像もできなかったほどのことだったのです。こうしたことからも、ボーローの出現によって、犬種の改良の局面に新しい転機を迎えたといっても、けっして過言ではないのです。彼は、ラブラドール種が、ショーとフィールドの両方の世界で、十分に活躍できるものであるということを立証するとともに、種牡犬としても大活躍して、数多くの子孫犬を残し、その名声をほしいままにしたのです。

 

ジャンプの声符には、反射的に反応しますが、
抱っこしているのは好きらしく、直ぐには降りない。 

 

 

 そしてさらに、彼の血液を受け継いだ子孫犬たちの繁栄によって、偉大なる彼の名声は、次の世代の多くの人々へと語りつがれていくのでした。それはちょうど、展覧会用と犬種改良用との2つの目的を可能にする有能なラブラドール種の出現を待望されていたとき、その目的にかなった犬が現れた、とでもいったものだったのです。最近におけるラブラドール種の世界の著しい発展のかげには、ボーローと、彼の子孫犬たちの計り知れない功績があるのです。ボーローが、その優秀さを当時の人たちに、イメージづけて以来、しばらくのあいだ、多くの人たちに、“変化と、その意味の深長さ、その価値をも認めるとき、心のそこから喜びが涌き出てくるほどである”とまで言わしめたのでした。このボーローの名とその功績は、ハウエ伯爵夫人のバンコリー犬舎と、いつも結びついて、離れることはないでしょうが、数多い優秀犬を世に送り出したバンコリー犬舎のなかでも格別に卓越した存在の犬になったといえるのです。

 

一匹が抱っこすると、他は甘えてジャンプを
おねだりする。ご夫妻の声符でもとの待機にもどる。

 

 ボーローからは、黄色犬は生まれなかったけれども、その直子のなかの何頭かに、黄色の因子を持つものが出たのです。そのなかでも、特に有名になったのはナッツフォード卿に飼われていた、CH.バンコリー・ダニロです。このCH.バンコリー・ダニロは、30回以上もC.C.カードを取得している犬であり、1926年には、クラフト・ケンネル・クラブ、スコティッシュ・ケンネル・クラブ、バーミングハム、およびマンチェスターのドッグ・ショーで優勝し、C.C.カードを取得しています。彼のこれらの立派な実績は、当時の他のどの犬たちも比較にならないほどの立派なものだったのです。 CH.バドゲリー・リチャードも、ダニロの息子ですが、次の10年間にわたって黄色犬作りのために大活躍したのです。CH.ダニロの別の息のCH.ブロックリーハースト・ドナーからは、F.T.CH.バーンフット・スライダーとか、その他多くの優秀な黄色犬が輩出しているのです。 またバンコリー・ブラフからはコック・ロビンが作られ、このコック・ロビンからは、黄色のミングが作られました。

 

スパニエルを自転車に乗せたいとお願いすると、
呆れ、乗せたことは無いというが、乗せて乗った。 

 

 このミングという犬は、1940年に、初代のイングリッシュ・アンド・アメリカン・フィールド・トライアル・チャンピオンとなったのです。バンコリー犬舎からは、数多くの有名なチャンピオンとなった優秀犬が作出されましたが、それらのなかでも、特に注目される立派な実績を残した種牡犬の名をあげるとすれば、まず、次の犬たちの名が浮上してきます。CH.イングレストン・ベン、F.T.CH.バルムート・ジョックと、ウイルドウ、DUAL.CH.ペーター、ザ・ペインターとか、 CH.イルダートン・ベンといった犬たちですが、CH.ペーター、ザ・ペインターは、後日、アメリカに渡り、ショー・チャンピオンのタイトルもとっています。ラブラドール種が、銃猟犬種のなかでも、今日のような高い評価をうけているとともに、さらに多くの愛好家の信頼をも得ているのは、数多くの犬舎のオーナーとか、愛好家たちの格別の力添えによるものですが、それらの人々のうちでも、ハウエ伯爵夫人の献身的な活躍に負うところは、絶大なものがあります。

 

犬舎中庭での猟野作業のデモは、
声符や笛に機敏な動作で応じている。  

 

 

 1910年から始まる黄金時代の初期の頃に、最も大きな影響を与えた犬舎の1つにトゥワイフォード氏のウイトモア犬舎の名があげられますが、この犬舎では、1931年までのあいだに、当事における最も傑出したラブラドール種と言われる犬たちを何頭か作出しました。 ウイトモア犬舎の犬は、ネザーバイ・ボーストワンという種牡犬の活躍した時代に、最高の実績を挙げたと言われています。これらのなかには、DUAL.CH.テイトウス・オブ・ウイトモアという傑出した種牡犬の名が見られますが、彼の活躍の跡は、当時の数々の新生犬舎から作出された犬たちの血統書のなかにうかがわれ、その度合いは計り知れないほどのもだったとも言われています。このウイトモア犬舎は、有能なジョン・キャンディ氏のたくみな管理によって最盛期を過ごし、その成果が結実したのでした。立派な作業をする優秀犬の血統は、その犬舎が持っていた最高の資質をもつ基礎牝を通して作出されたと言われています。

 

 セント・ジェームズ・パークから眺む
冬のバッキンガム宮殿。19世紀の銅版画。 

 

 ウイトモア犬舎の基礎牝のなかには、品評会系のチャンピオンのタイトルを取得しているものも多数いたと言われ、犬舎の繁殖活動には無限とも思われるほどの可能性がうかがわれたほどでした。他方、旺盛な作業意欲をもって完璧な仕事をするラブラドール種を作出して実績を挙げたのは、コルベッツ・アデァリー犬舎と言われ、その優秀性は、他の犬舎の作出犬たちではまったく比較にならなかったとまで言われていたのです。このことは、今日活躍している数多くの犬舎の犬たちの血液の中にも忠実に伝わっていることによってもうかがわれるのです。

 コルベット氏は、1925年の初めてのトライアルで、F.T.CH.ブイディ・オブ・アデァリーによって優勝の栄誉を手にしたのです。この犬は、ブラッド・フォード伯爵が繁殖したものでした。この時代から第2次大戦の直前までコルベット氏は、35の賞金付きトライアルで優勝したり、18の準優勝、並びに13回の第3位入賞といった、立派な成績を挙げた優勝犬を作りましたが、これらのほとんど、どれもが自分が繁殖し、オーナーとして立派に育てあげ、トライアルで活躍させたものだったのです。

 

スリムでリュウとした筋肉が見事な
トライアル系の典型的な体型の黄ラブ。

 

 このアデァリー犬舎の犬たちのなかでも最も輝かしい賞歴をもつ犬は、F.T.CH.アデァリー・トリムといった牝犬でした。この犬は、F.T.CH.ベニングブロウジ・タンコの子で、それはバンコリー・コルビイから、ボーローへとつながっていく血統の犬でした。 1927年に初優勝したときは、年齢わずか9ヵ月未満であり、最後の優勝は、1935年で9歳になっていたのでした。また7歳以上から9歳までのあいだに13回優勝という特筆すべき実績を挙げたのです。このトリムは、マルメルスバリー伯爵のトランプの子孫犬であり、優勝回数では、F.T.CH.バルムート・ジョックの記録にほとんど肩を並べるほどのものだったのです。なお、このトリムの輝かしい賞歴は、すべてコルベット氏自らの手によるものでした。 また、この犬舎では、5頭のフィールド・トライアル・チャンピオン犬を作出しましたが、そのうちの4頭は、ビイディ、トリム、タックス、ビィーという牝犬でした。それらの優秀犬はいずれも、アデァリー・タイクの直子たちでしたが、このタイクは、トリムから生まれたビイディの孫にあたります。後日、インドにおいて、国際チャンピオンの名誉ある資格を取得したのです。

 

英国の都市近郊は多摩丘陵地帯とよく
似ている。キジなど野鳥を身近で見られる。

 

 現代においては、もはやその存在をうかがうことはできないが、現代のわれわれの犬たちの血統のなかに綿々と受け継がれている最高の栄誉と実績を残している犬たちとそのオーナーたちの犬舎名をあげるならば、次のようなものです。すなわちバルムート、これはダヴィッド・ブラック氏の犬舎であり、この犬舎の有名な犬たちのうちのF.T.CH.ジョックとヘウイルドウの名は、ラブラドール種の世界に永遠にとどめるだろうと言われています。この犬たちは、いずれもハウエ伯爵夫人の所有犬だったのです。次は、フローデンの名称をつけた、のちのロード・ジョイス氏のスコティッシュとか、ハルメ氏のウイシングトンや、カイザー卿のキンパニー、アンダートン氏のホウルマーク、ホワイトウオース氏のハムヤックス、コリンズ氏のコルウイル、さらにスミス氏のトレスホルムとか、ケナード氏のぺティストリーといった犬舎と、そこで作出された犬たちです。

 

訓練場に到着しメルドランさんの身振り
(視符)と笛で、一定間隔をとり布陣する。 

 

 ぺティストリーの血液の重要性について、特に力説することはむずかしいことですが、ダン・ポペット・シャドウといった犬をとおして、コルウイル・ダイヤモンド、さらにダンの子孫犬をとおして、イギリス、アメリカにおける数多くの犬たちの背景にその影響力がうかがわれるのです。“ドクター・モンロー・ホーム”の敬称のついたドリンクストーン、およびカルーザー氏のオーチャードトンの犬たちは、いずれも初期のアメリカのラブラドール種の繁殖界に多大の貢献をしております。これらの犬たちは、いずれもタイプが美しく、性質は温順であり、頭の回転の良い、訓練の容易な犬たちだったのです。

 

サンドリンハム・シドニーの業績は王室
犬舎を優秀犬輩出犬舎として世に知らしめた。

 

 ラブラドール種の愛好家のなかには、理論の世界で、理想的な血統書を空想したり、作出した個体のなかからその確認を試みた人々が何人かいます。また、たとえ空想的意見としてだけでは、完成が夢見られても、それはなかなか現実とは結びつかないもののようです。だが、それらのなかでも、著名なリチャード・アンダーソン氏の試みたプランは研究に値するものとして多大に評価されております。 

 

 

御用邸の南北を二分する石壁には
歴代の愛犬の墓碑が埋め込まれている。

 

 

 カナダ・ラブラドール半島原産の魚猟犬ラブラドールは、英国に渡って鳥猟犬としての特質を伸ばして固定されました。網からこぼれた魚を捕まえて来る能力は秀でていましたが、気性は荒く飼い主以外には警戒心が強く、猛犬だったようです。それを英国人の根気強さが、性格が穏やかで吠えない噛まない万能作業犬に作り上げたのです。その優秀さからラブラドール犬は英国内にとどまらず、世界中に拡がり、生まれ故郷のカナダへも"別犬"になって里帰りしています。英国王室犬舎は国内外から逆に優秀なラブラドールを集め、系統的にも安定した「サンドリンハム」系を作り上げました。

 犬舎支配人メルドランさんは、日本人はラブラドールが貴重な犬であることを判っていないと言います。ラインブリードで優秀な血統を残し、さらに優秀な資質を伸ばす努力をしていないと言います。優秀犬を日本に送っても、全てそれっ切りになっていると言います。

  

 

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