アジア国際舞台芸術フェスティバル'97日本代表作品
 

ミュージカル李香蘭シンガポール公演

シンガポール公演は中国4都市公演に次ぐ海外公演です。

 

  

 赤い夕日で金色に染まったコーリャン畑と、家路を急ぐ農夫を描いたお馴染みの緞帳は、横顔と蘭の花のポスターを発見して"ココガ劇場ダッ"と安心するように、目の前にぶら下がっていてくれると"ココニ座ッテテヨイノダ"と安心できます。中国公演でも日本四季劇団大型音楽劇李香蘭を探し出すのが一苦労でした。 

        

 

 宿泊したホテルは市内中心部よりやや港に近い位置にありました。紹介して下さった方はカラン劇場がどこにあるか知っていて、行き易いようにと配慮して下さっていたことが後で分かりました。それに気付かず酷暑の炎天下を探し廻りました。往来の人に聞いても、インターネットで親しくなった在住の日本人も、カラン劇場という名称すら知りません。戸川幸夫著「昭南島物語」にカラン飛行場が幾度も登場していましたでその跡地へ行ってみましたら体育施設群の中にカラン劇場がありました。  

    

 

 

 この李香蘭シンガポール公演のチケットは日本国内で発売されませんでしたが、そのわりには日本からの観客が多く、仲間うちから劇場で頻繁に見かける顔馴染みまで、その数の多さに驚きました。ジーザスのロンドン公演でもソウル公演でも、海外版追っかけ組の数グループが互いに協力しあって、チケットからホテル航空券などを入手しているのだそうです。マルチメディア時代は、選択できればなんでも可能なようです。国内と海外とを区別する意味がないのでしょう。  

   

 

 

 シンガポールといえば、ラッフルズホテルです。優雅なフレンチ・ルネッサンス様式の白亜の館は、かつての大英帝国の面影を偲ばせています。その美しいたたずまいと伝統的サービスで、世界中の旅人にこよなく愛されています。香港のフェニンシュラ・ホテルや盤谷のオリエンタル・ホテルと並んで、宿泊する楽しみを満喫させてくれるのでしょう。豪華客船の旅に似たものなのかも知れません。

 

 

 

 オーチャード・ロードは、果樹園の道という意味です。その昔、このあたりは英国人の経営する果樹園で、果実の甘い香りが漂うなかをのんびりと馬車が行きかっていたようです。今はガーデンシティ・シンガポールの顔であり、樹木と花の香りとヨーロッパの香りを漂わせています。したたるように旺盛な並木の緑は、北国からの旅人にリフレッシュさせてくれるエネルギーを与えてくれます。サウナ効果でしょう。 

 

 

 

 シティホールからシンガポール川を遡るようにMRTに乗って、7駅めのコモンウエルスで降りますとホーランド・ビレッジがあります。阿蘭陀(オランダ)が蘭英協定で東印度(インドネシア)を得るために星嘉披(シンガポール)を英国に譲ったために、このビレッジができました。今は西欧人と日本人が住む高級住宅地となっています。日本人の間では、なぜか代官山と呼ばれているようです。

 

 

 

 オーチャード・ロードにはアジア国際演劇祭の立看や横断幕があり、雰囲気を盛り上げています。東はブラス・バザー・ロードに、西はタングリン・ロードと続き、その間は約3キロほどです。ウインドゥ・ショッピングのオーブラをしますと、1時間はたっぷりかかります。MRT(地下鉄)はオーチヤード、サマセット、ドビーゴートですが、賑やかなのはオーチャードのスコッツ・ロードとの交差点界隈です。   

 

 

 

 

 炎熱の陽光の下を歩きますと、木陰から木陰を伝い歩くことになります。エリザベスウオークの北には、新しいシンガポールの象徴であるラッフルズ・シティとマリーナスクエアがあります。大型ホテルとショッピングセンター、ビジネスオフィス、そしてスポーツ施設を備えたミニタウンですが、空調された快適空間であるために市民の憩の場となり、休日の一日をそこに過ごす人たちが少なからずいるようです。   

 

 

 

 

 モダンなビジネス街から一歩裏通りに入ると、ローカル色豊かな表情が残されています。再開発が著しいシンガポールですから訪れる度に減少していますが、表通りのビル群に惑わされることなく一歩踏み込んで下さい。ラッフルズ広場とコリア・キーを結ぶチェンジ・アレーは、かつての上野アメ横を思わせる安売りアーケード。私設の両替屋が多くチェンジ・アレーと呼ばれている。  

 

 

 

 市内中心部から車で約30分のセレター貯水池の西側にあるマンダイ蘭園には、ゆるやかや丘の斜面に数百万本の蘭が栽培されている。蝶の乱舞するような可憐な蘭から、野性美豊かな大輪の蘭まで、色も形も様々です。赤紫、青紫、黄色、白色、ピンク、朱色などの花々が華麗さを競うさまは壮観です。生産された蘭の花は、日本をはじめヨーロッパ・アメリカへ飛行機で毎日運ばれています。       

 

 

 

 ペラナカンとは、マレー半島一帯が英国の影響下にあったころ、大陸から移住して来た中国人がマレー系住民と融合して作り出した独自の文化とその子孫を意味します。マレー文化を基礎にして中国の生活様式や英国文化の影響を受け、言葉もマレー語の方言に中国語と英語が混じった特有のものです。ペラナカン博物館があるペラナカン・プレイスは、オーチャード・ロードの中ほどにあります。     

 

 

 ふりそそぐ午後の日差しの中で、ゆっくりとしたティータイムを楽しむ。かつて七つの海を制覇した、誇り高い英国の上流社会の習慣から生まれたハイティーはオヤツの感覚からほど遠く洗練された、紅茶を楽しむ独特の軽食スタイル。甘味好きの英国人は果実ジャムを塗るのではなく、かたまりを載せて噛るのである。日本人はパンを主食と考え、大きく分厚いのを食べるので逆に驚かれてしまう。

 

 

 ホテルの窓下に、こんもりと茂る緑の木立から、壮麗なゴシックの尖塔をのぞかせているのが英国国教会の大聖堂セント・アンドリュース教会です。コールマン・ストリートからスタンフォード・ロードまでの広大な敷地は、1823年にラッフルズ卿によって選定されたものです。ホテルと教会の位置を確認しておきますと、市内を散策しても、安心して戻って来られます。               

                      

 

 

 それぞれ二人は記念写真ふうに立っていますが、かたや炎天下でかたや木陰です。意図的でなくてもその違いが象徴的に表われているのでしょうか。太陽がギラギラと輝く炎暑の中に涼しい顔をしているサニー婆と、記念撮影なのに背景を無視して木陰に入ってそこが何処だか分からない記念写真となったハック爺です。炎天下でもちょっと左に寄ればホーランド・ビレッジらしい風景が背景になるのですが。

 

 朝になって目を覚まし、眼下にStアンドリース教会が鎮座しているのを発見して、シンガポールにいることが確認できる。緑豊かで美しく、爽やかに見える光景は窓越しに見る時のみで、一歩外へ出るともう大変です。李香蘭が星加披(シンガポール)にやって来ました。次は台湾で、次はブロードウエィでしょう。   

 

 

 

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