人々は云う。「かつて日本は朝鮮半島を軍靴で踏みにじった」と。
    「それは悪辣そのものであった」と。
    今の日本の若者たちにとっては憶えのないことである。

     そういう時代に韓国孤児たちの母になった日本女性がいた。
    田内千鶴子( たうち ちずこ 韓国名・伊鶴子ユンハクチャ)
    がその人である。


      歴史は滔々と流れていった。
     そして韓国と日本の関係は今日に至っている。

      大事なことは、この一日本女性の一生が、
     韓国人の胸に一つの薫風として吹いているという事実である。
     彼女の一生は、私たちの明日に希望を与えてくれる。





   1968年の韓国木浦(モッポ)で、一人の女性が亡くなった。
  日本名・田内千鶴子、韓国名・伊鶴子ユンハクチャ56才。
  信仰篤いクリスチャンだったが、彼女の名前と経歴を知る者は少ない。
  韓国と日本は今でも近くて遠い国であり、つねに微妙な問題をはらみながらの
  歴史をもつ両国である。その激動の歴史の狭間に生きた一人の女性:田内千鶴子。
  彼女は38年に木浦で孤児院「共生園」を営む韓国青年と、周囲の人たちの
  好奇の眼差しの中に結婚し、日本の敗戦に続く朝鮮戦争
  そして夫の消息不明という数奇の運命に翻弄されながら、
  女手一つで3000人に及ぶ孤児たちを必死で育て守り抜いた。


   63年に大統領から文化勲章を、そして67年に日本政府から藍綬褒章を
  海外での社会福祉に尽くした日本人として初めて受賞するまでになった彼女を
  支え続けたものは何だったのか。激しい反日感情の中 "韓国孤児の母ハルモニ" 
  と慕われた彼女の生涯を描いた史上初の韓日合作映画である。

   主演の田内千鶴子役に石田えり。脚本を担当した中島丈博の「美談でなく
  人間ドラマにするために貴女が必要だ」の一言に出演を決意し、
  "人間" 田内千鶴子に熱い血を通わせる熱演をし、初めて挑んだ韓国語にも
  賛嘆の声があがった。


   監督は「浜辺の村」「霧」等の作品で60年代以降の韓国映画界を代表する
  存在である金洙容キムスヨン。86年「空言」での検閲によるトラブル以来、
  沈黙を続けてきた彼の久々の新作にあたる。脚本はTV 「炎立つ」、
  映画「おこげ」、「絵の中のぼくの村」等人物描写の的確さで知られる
  中島丈博が1年をかけて執筆。そして、日本でもお馴染みの大ヒット作
  「風の丘を越えて」を手がけた郭一成チョンイルソンが撮影を担当。
  初めての韓日合作映画である。


  [ 物語 ] 朝鮮総督府の役人の娘・田内千鶴子は、孤児院を営む韓国人青年・
  伊致浩ユンチホと結婚した。周囲の日本人社会からは白眼視される結婚だったが、
  "乞食大将"と呼ばれながら孤児たちに無償の愛を捧げ、必死に孤児院を守る青年を
  彼女は心から愛していたのだった。やがて日本は敗戦。日本人の妻を持つ夫が
  村人から迫害され始めたため、実母や子どもたちとともに故郷の高知に帰国した
  千鶴子だが、夫や孤児たちへの思いは募り、再び朝鮮半島に渡る。
  やがて朝鮮戦争が勃発、夫は行方不明になり千鶴子は女手一つで孤児院を
  守ることになる。それは何の後ろ楯もない日本人女性には不可能と思える
  だった・・・。

     親とは何か、子とは何かを問う、この映画をすべての子どもたちと大人たちに
  贈ります。韓国人の心に薫風として今も吹いている、この一日本人女性の生涯が
  尊厳ある人間の碑銘として明日につながることを祈念します。