“父唱不随”と家長幻想

 

 

 若い男女が「適齢期」を迎えると、結婚の準備を始めます。学校を出て、就職して、ある程度の貯金ができたところが丁度よく適齢期といった感じですが、結婚準備をしてから相手を探そうとするタイプと相手を探してから結婚準備をするタイプとがあるようです。どちらのタイプも得意な方を先行させてしまうわけですから、前者は準備不十分なままに見切り発車をしてしまうことになり、後者は新居をはじめ全てが調ってもお見合いは儘ならないことになりがちです。結婚を意識するようになると、異性を誘引する力を備えようとします。情報過多なハウツウ雑誌で充分過ぎるぐらいに勉強していますから、ピントのズレた行動はさすがに少なく、堅実すぎて面白くも何ともない恋愛に進みます。

 女性は美しさや聡明さでは勝負できないと承知しているようで、ひたすら「可愛らしさ」と「優しさ」を演出します。前髪を垂らし、小さな子どもや可愛いペットを見ると、それらが大好きで「心の優しさが思わず溢れ出てしまった」といわんばかりの微笑みを浮かべます。男性の方も充分に身の程を心得ていますが、「男らしく」の強迫観念が愚かな行動に駆り立ててしまいます。かっこいいスポーツカーかパワフルな四輪駆動車を無理して購入し「白馬の王子さま」になろうとしたり、スキーやサーフィンをちらつかせてスポーツマンを装おうとします。こうした努力で若い男女に恋が芽生え、めでたく結婚となる時に、それぞれが身勝手な「思惑」にこころ膨らませています。

 「彼(彼女)は優しく思いやりのある人のようだから、ある程度の我が儘は許してくれるのでは」と互いに思い込み、相手のYESを前提にいろいろと夢を積み重ねます。男性は物心ついた頃から親離れするまでの「居心地よい生活」の再現をのぞみ、さらに「家族を養い路頭に迷わせない」責任を負うのだから、その分だけ勝手が許されて当然と低俗な為政者のようなことを考えます。かたや女性は、男性を介して自己実現を計ろうとしますが「損して得とれ」の考えからか、男性の望む「その分」はすんなりと譲歩します。そして、ハッピー・ウェディングやスィートホームであるかのようないい方で糖衣し、それを受け入れやすくしているように思えます。

 そして譲歩した分はいつか挽回しようと機会を待ちますが、無理を持続させることは誰にも難しいことですから機会は早々とやってきます。子どもが産まれるのは大きなチャンスの一つで、生徒を人質にとった学校の先生のように有無を言わせぬ強気の態度に豹変します。「アナタの子どものため」といういい方は水戸黄門の印籠以上の効果があり、ヘソクリの通帳も子どもの名前にしておけばバレても安心と考えます。子どもが産まれた途端に妻であり夫である部分は霧散してお母さんとお父さんになってしまいますから、子どものために父親も我慢するのは当然であるといういい方で犠牲を強いられます。

 「夫唱」も「家長」もタテマエですから、暗黙に了解されている筈の妻の尊守義務は順次密やかに手抜きされ「婦随」なんてとどこ吹く風、「達者で留守がよい」とうそぶかれてしまいます。しかし、夫は会社を辞めないかぎり手の抜きようがありません。我が国に固有の「終身雇用制」を廃止して退職も再就職も自在にできるようにすれば、有利な駆け引きができて「夫唱婦随」と「家長」の復活は可能でしょう。高度成長の副作用で発生した「父なき社会」はこの動きで消滅し「健全な家庭」と「健全な社会」が創造できるかも知れません。

 

 

  

 

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