母もなき社会

 

 

 かつてゲバ棒とヘルメットで荒れた学園紛争のころに、ベストセラー「甘えの構造」で知られた精神病理学者がその世相を分析して「父なき社会」と称しました。しかし世は移りバブル崩壊を契機に「会社人間」で居られなくなった父たちは、地域と家庭に戻り始めたと言われています。

 単身赴任であったり朝から晩まで家に居なかった父が家に居るようになりますと、父の居ない生活に慣れてしまっていた母は、いつの間にか手抜き生活に慣れてしまっていたことに気づかされます。子育てに手がかからなくなりますと、家事に手をかけることが煩わしくなってしまうようです。

 そもそも本能ではない母性を口実にして、家事と育児に性役割を押し付けることに無理があったのでしょうが、水が低きに流れるようにパート仕事や地域活動のために家を空けるようになりました。

 茶の間が「個食」のダイニングルームでしか無くなり「家庭のない家族の時代」と称されているいま、内なる家庭でトレーニングが受けられず、外なる社会へ出て行けなくなる現象が子どもたちに生じています。

 「不登校」や「引きこもり」の子どもたちは、自室に篭る自分と社会を繋ぐパイプになって欲しいと母に望みます。パニック障害であると自ら言う子どもたちは、当たり前のことが出来ずに困っている気持ちを母に解って欲しいと訴えます。「拒食する」のも、「手首を切る」のも、救いを求める行為ですが、それでも気づいて貰えないと「死にたがる」ことになります。

 かつて「親は無くても子は育つ」と言いましたが、それはリスクを無視したものでした。少子化が進む今そのリスクを無視したら、益々小子化に拍車がかかってしまいます。しかし残念なことに親は子の訴えに、ただただ困惑するしかないようです。そのためにか円満に見える家族の中で、孤児のように育つしかありません。どこへ行っても「大人から人生を教えて貰えない」ままに、社会に押し出される子どもは気の毒でなりません。

 

  

   

 

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