子ども電話相談

 

 

 ラジオ番組の「子ども電話相談」は広く世間に知られていて、可愛らしい迷質問には大人のファンも少なくありません。ところが利用する子ども達の人気を二分するもう一つの子ども電話相談「子ども110番」は、それを知る大人は少なくて殆どはその名称を聞いてもいぶかしそうな顔をするだけで記憶にまでは残らないようです。その「子ども110番」は「いのちの電話」と同様に名称から受ける印象で馴染めないのか、多くの人たちは無縁なものと思ってしまっているのでしょう。

 ところが電話相談の内容はラジオ番組と殆ど同じで、その7〜8割は微笑ましい相談やおしゃべりを楽しむ内容です。殆どの子ども達は名称など気にはせずに、目的が達せられればよいと思っているのでしょう。ところがそんなドライな現代っ子がいる一方、残りの2〜3割は“気の毒な現代っ子”というのも気の毒な子ども達からの深刻な内容の相談です。かつて「子ども110番」の相談員をしていた時に、印象に残る子どもとの出会いがありました。

「柱時計の少女」というニックネームで呼ばれていた小学生のA子と、「湘南の乙姫」というニックネームで呼ばれていた中学生のB子です。A子は毎晩決まった時刻にかけてきても、殆どしゃべりませんので「無言の少女」と呼ばれていました。沈黙が5分10分と続き、コッチンコッチンと秒を刻む音が微かに聞こえ、時々ボーンボーンと振り子が鳴り響くので、いつの間にか「柱時計の少女」と呼ばれるようになったようです。

 A子の仄めかす内容が“いじめ相談”であるとしても、その内容が妙であるということから担当になりました。詳しく尋ねると「知らない小父さんが耳の中で意地悪なことを言うと、皮膚の下を沢山の虫が這い擦りまわって痛痒い」などと言い、さらに「私は王女様で、悪者が誘拐しようと狙っている」などと言います。幻覚や妄想と思えることを当然のこととして訴えるのです。緊急に両親と連絡をとり、病院へ通って治療を受けさせるよう指導しました。症状が治まって寛解したのは、定時制高校を卒業して製菓店に就職するころでした。

 病気の原因と思えるものとしては、幼児のころのA子は色白で日本人形のように可愛かった為にか、両親と祖父母が奪い合った時期があったそうです。母親がA子に昼寝をさせていて一寸離れた隙に連れ去られてしまい、怒った父親が奪い返して来たなどということは、数限りなくあったそうです。信じられないようなことが事実としてあったのです。祖父母より離れた現住所に転居して奪い合いは無くなっていましたので、A子の両親は学校に“いじめ”があって不登校になっていたと思っていたようです。

 もしA子が「子ども110番」に電話しなかったら、“閉じ籠もり”が数年におよんで病状が悪化することになり、幻覚や妄想が言動に現れるようになって初めてA子の病気に気づくことになるのでしょう。電話相談は面接相談に比べて、いきなり核心の部分を話題にできるメリットがあります。わざわざ出向く必要もなく、匿名でも名乗らなくてもよくて顔を合わさなくても済むので、恥ずかしさを感じずに秘密を吐露できるのでしょう。どんな病気も早期に発見して治療することが大切であると誰もが知っていますが、早期に発見する難しさにも気づいています。

 ノイローゼは苦痛を過剰に訴えるので、すぐに周囲は気づかされます。ところが精神病の場合は、病感も病識も気づきにくく訴えにくいので、周囲が早期に気づくことはとても困難です。とくに小児の精神病には、あえて初診に電話を利用するメリットを感じています。 

 「湘南の乙姫」というニックネームで呼ばれている中学生のB子は、テレホンネームとして自分から名乗ったためにそうなったようです。「湘南」海岸に住んでいることは日々の電話の内容から分かりましたが、なぜ「乙姫」なのかは分かりません。サーファーは嫌いで海女のように素潜りが得意というので、たぶん龍宮城の乙姫様であろうと相談員達が勝手に思い込んでしまっていたようです。ところがある時に「乙姫」の意味を尋ねると「湘南の織姫」といったのに間違えて聞き取られてしまったのだといいます。

 初めの頃は気づかなかったが、ある時に「竜宮城の」と言われて気づいたと言います。訂正するとなぜ「織姫」なのか説明しなくてはならないので、面倒だから止めたと言います。離婚した母と二人で暮らしている。母より父の方が好きなのに、父の都合で一年に一回ぐらいしか会えない。などと事情を説明してくれて、自嘲気味に「七夕の織姫」と名乗ったのだと言います。しかし乙姫でも悪くないので、乙姫で通しているのだと言います。

 B子はすでにバージンでは無いのだそうで、しかも小学校の高学年から数人の男性と関係をもったと言います。一番最初の男性は転校直前の担任教師だったと言うから驚きですが、多分淋しげで、人恋しげで、優しくされれば何処へにでも付いて行ってしまうタイプの少女なのでしょう。子どもの世界は信じられないほど残酷で、大人の世界のような義理も人情も殆ど関係ありません。グループ化されていて、よほど相応しい要素を持っていると認められませんと、仲間として加わることは許されません。

 勉強が程よくできる子、結構スポーツが得意な子、まぁ可愛らしい子、適当に要領がよくて機転の利く子などは、グループのメンバーになることで苦労はしません。ところが、それらのどれも持ち合わせていないと誰からも相手にしてもらえないのです。しつこく付き纏ってもシカト(無視)されるか、イジメのムカツキ(対象)にされるのが落ちです。B子のように孤立していて“もの欲しそうな顔”をした少女が、おとなしくて気が弱そうな雰囲気を漂わせていると、ロリコン(ロリータ・コンプレックス:小児性愛者)が狙います。

 異性恐怖症という異性が成熟しているということに恐怖感を抱く者たちは、同性愛者になったり小児性愛者になったりします。同性愛者になるのは構いませんが、子どもを犠牲にすることは許されません。さらには、いかがわしい宗教団体が信者を、右翼団体が党員を、そしてヤクザや暴力団が組員を獲得するために、三匹の子ブタを狙うオオカミのように優しい小父さんになります。これらの団体は員数確保の為ばかりではなく、少女たちをシンパにしておくだけでも同類の少年が集まってくるというメリットも承知しています。

 忙しい親に忘れ去られた子どもたちは、こういったところにかき集められ吸収されてしまいます。呆れて大人は非難しますが、親に忘れ去られ誰からも相手にされない淋しい子どもは、学校教育のような建前では救えません。B子は「優しい小父さんは、次には必ずエッチを求めるけれど、・・・」と言います。こういった子どもたちが不心得な大人の餌食にならないよう、そして従来のただ我慢を強いるようなものではない、子どもたちが救われるシステムを社会資源に組み込む必要があります。法務省の非行少年を対象にしたBBS(ビッグ・ブラザー&シスター:優しいお兄さんお姉さん)運動を参考にするとイメージできると思います。

 

 

 

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