スポーツ兄弟の家族関係学

 二世議員や二世タレントなどと、日本社会の特徴として、先進国社会には珍しい「世襲」が目につきます。必ずしも親の能力を子が受け継ぐとは限らないと考える欧米人からは、なぜそのようなことが起こるのかと不思議がられています。二世が断然多い芸能界に並んでスポーツ界の二世も注目されますが、能力が厳しく評価されますので、スーパースターの親には遥かに及ばず「挫折」する例が少なからずあります。それに対していま話題となっているスポーツ兄弟は、そろって頂点に到達するという偉業を成し遂げたということで、それを育てた母親は全国を講演旅行をするほどでした。

 戦後「家制度」は無くなりましたが、長男が家長として家督を相続する気持ちは残されています。法律で否定されても伝統や文化を継承するためには必要なのでしょう。そのようなこととは無縁な庶民の中にも、「しきたり」としてなんとなく残っています。いま話題となっているスポーツ兄弟の不幸は、弟の方がそのスポーツに強大だったということでしょう。いわゆる心技体の、少なくとも技と体は父親と弟が圧倒的に強大であり、それと比べたら母親と兄は弱小だったのでしょう。力を持たない者は一人の人間として認めて貰えないほど「力こそ正義」の世界なのだろうと思います。

 そのために、職住が一緒の家庭の中では、母親と兄は耐え難いほどの日々を送って来たのでしょう。父親の逝去により兄弟の確執が表面化して、弟は常に正論を積極的に公言しています。それに対して兄は反論もせずに沈黙を守っていますが、自分の立場を主張する前にへきへきした気持ちがそれを制止してしまうのでしょう。沈黙は口八丁手八丁への、唯一の対抗手段だろうとも考えられます。

 子どもをプロスポーツ選手にするためや、有名大学へ進学させるために、親はひたすらそれに専念させる風潮があります。しかし幸か不幸か、殆どの場合は親の期待にまで到達しませんから、家庭内に深刻な問題を引き起こすことはありません。

 想像を妄想にまでしてみますと、病床の父親は期待した以上に肥大しモンスター化した弟に恐れをなし、足を引っ張るような虚しい遺言をしたのではないでしょうか。弟が兄よりも実力を持ち、それを許さない「しきたり」が不幸を生んだのでしょう。

 

 

  

 

oak-wood@lovelylab.net

http://www.lovelylab.net

 


もどる