情報時代の黎明と私

 

 

 10年ほど前にワープロが身近で使われ始めたころ私は、ワープロというものは「清書機械」だろうと思っていました。幾度も幾度もエンピツで書き消ゴムで消し、判読不明の原稿をきれいで読みやすい印刷物に変えてくれる「便利機械」であると思っていました。大学の研究室の親切秘書さんに清書をお願い出来ているうちはその考えは変わらなかったのですが、依頼者が増えて頼み憎くなって自分で打たなければならなくなりますと、ワープロは単なる清書機械ではなくて「編集機械」であることが分かりました。

 親しい友人がすでにパソコン・マニアになっていて、どうせワープロを使うならパソコンのワープロを使えるようにした方がよい「パソコンには無限の可能性がある」と熱っぽく語りました。しかしパソコンは「統計処理機械」だと思っていましたし、しかも機械物がもともと苦手な私は「最新のワープロだってパソコン機能が備わって来ているから、その程度のもので十分ではないか」と主張しました。たしかに便利なものであろうとは思うのですが、使えるようになる迄は難しくて面倒だろうと思っていたからです。

 さらに別の友人から、アメリカにはアップルという4歳の子どもから使えるパソコンがあると知らされました。2つのものから1つを選ぶ能力があれば、誰にでもいきなり使えるパソコンだといいます。この時にパソコンを使いたい気持ちがあったならばこのアップルに興味を示したかも知れません。

 5年ほど前から「インターネット」という言葉が目につき耳にするようになりました。世界中が電話線で網の目のように繋がり、世界中の誰とでも電子メールで「交流する」ホームページを作って自分を「発信する」ということが魅力に感じました。子どもの頃からの認めたくない性格ですが、その目立ちたがりで見せたがりの性格に火がついてしまったのです。テレビのインターネット紹介番組を見て、どんなものか知ろうと努めました。

 半年ほど見ているとどの番組でも紹介の内容が一緒であることに気付き、もうパソコンを買って自分でやるしかないと思うにいたりました。そうしているうちにあの「ウインドウズ95フィーバー」があり、ついで「使えなければ、ただの箱」と嘲笑気味に囁かれ、取り組む決意を挫くように「おじさんはダブルクリックが出来ない」とからかわれました。

 「50の手習」は頑張らない方がよいようです。覚えようと努力すると、すぐに忘れる自分に嫌気が差します。早い人が3ヵ月で習得するものを3年かけるつもりでいましたら、努力した気もなくマスターできました。

 

 

 

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