専門家と社会のニーズ 2

                   中嶋柏樹

              保健管理センター・カウンセリングルーム

 毎新入学前に保健管理センターは「健康調査」を実施しています。新しく入学する学生たちが項目ごとに○や×などを記入する質問紙法によってチェックされるのは、身体の健康状態を把握するのは勿論のこと、口頭での質問には応えてもらいにくい”性や泌尿器”に関することがらや、精神の健康状態に関する事柄に応えてもらう為です。そして、○と×をつける60項目に次いで自由に回答できる欄には、もしあればということで、困っていることや悩んでいることなどを記入してもらっています。

 調査の結果から、なんらかの問題を持っていそうな要注意者にはカウンセリングルームに来談してもらうことになりますが、呼び出される前に自ら来談する学生が増えています。ことさら目立つのは、不登校で留年し精神科に通院したことがある者や、精神科に長期入院して復帰に手間取り大検を経由いして入学して来た者たちです。そのなかで、従来の狭義の精神病羅患者経験者はこの10年間は増減の変化はありませんが、従来の狭義の精神科疾患と健常との間にあって、新たな疾病概念で規定される疾病羅患者の著しい増加に危機感すら感じる程です。

 今まで精神疾患の診断基準が国や時代によって大きく異なってきていましたが、近年グローバル化している実情に則してジュネーブの世界保健機構から国際的な利用を目指して「国際疾病分類」という多種の疾病分類システムが提唱されました。そして、わが国の保健関係者の間には速やかに浸透しましたが、その変更が届いていない社会とマスコミとの間には”通訳”が必要なほど隔たりがあります。疾病名称がかわろノイローゼなど呼ばれ馴染んでいる精神神経症は、感情病や情動障害と呼ばれるようになっています。

 今までは○○神経症や××神経症との診断名で済んでいたものが、多種細分化されて、P.T.S.D.(心的外傷後ストレス病 Post-traumatic Stress Disorder)などというものもあり。自ら自信を持ってPTSDであると名乗って来談する者がいる程です。そして、「トラウマが原因で、、、、」と軽く”トラウマ”という言葉を口にしています。

 PTSDと似た言葉で巷を独り歩きしているAC(アダルトチルドレン)も、病気の原因となるトラウマを与えた親の責任を暗に追求しているのか、水戸黄門の印篭を掲げたように高らかに宣言しています。この”同病者”たちが連帯し易いのも特徴のようで、友の会のようなものを結成して事務局になったからと挨拶に来た学生がいるほどです。挨拶に来た理由を尋ねますと、「なにかとご協力を戴きたいから」とちゃっかり言います。

 いきなりで肝を冷やしたのは、「悪夢を見て過去の嫌な出来事を思い出した。気分が滅入っているので親父をぶん殴りたい。しかし帰省してもいられないから、代わりに殴らせてくれ」と立ち上がり構えます。30年近いカウンセラー生活で、こんな面接は初めてです。分厚い本を差出して「この原初の叫びを読んでいますか?。」と詰問調で尋ねます。ロサンジェルスにある原初道場では、金属バットでサンドバックを叩くなどをして、大声で恨みの骨髄の親を罵る治療法を実施しているのだそうです。かつてビートルズのメンバーがその治療プログラムで治したということで世界的に知られるようになったようです。

 精神疾患についての世間一般の認識では、精神病という言葉を用いるのを忌み嫌うので、本物のノイローゼ(精神病)と軽いノイローゼ(神経症)と言い分ける程度のものでした。精神科医でさえ診断と処方のみに興味を示すだけで、薬の効果は神頼みという程度のものでした。思春期の問題が起こって来ても、稲村博先生が「思春期挫折症候群」という新たな疾病概念を提唱するまでは、ほぼ本物のノイローゼ(精神病)と軽いノイローゼ(神経症)と言い分ける程度のもので対応していました。思春期挫折症候群という新たな疾病概念は、それまで幻覚妄想などの症状が確認されれば分裂病と診断していたのですが、それが一過性で掌を返したように軽減消滅してしまう一群があったので、精神治療薬を使用しても精神病ではなくて神経症の範疇に入れたのです。

 思春期挫折症候群は思春期にある特有の挫折体験から発症するものですから、個々の精神病理と精神薬理のみに注目していたのでは症状の改善は不十分です。忙しい医師には思春期の患者は面倒であると公言し、煩わしい雑事は”パラメディカル”(臨床心理士や社会福祉士など)に任せると考えている精神科医師は少なくありません。それは医師の年齢では無くて、従来の精神医学教育を受けたか新しい教育と指導を受けたかの違いです。思春期問題は治療できない数多くの精神科医師と思春期問題の治療が可能である数少ない精神科医師とがいます。しかし、世間はこのことを殆ど知りません。

 インターネットのネットサーフや検索によって調べることができ、あるいはメイリングフォーラムやチャットにより”同好の士”から教えてもらうことができ、あらゆる情報が簡単に入手することができます。訪ねてくる学生たちは、とんでもなく博識で、公共の場所にいることを著しく恐れる「広場恐怖症」や他人の注視に曝されるかもしれないような状況を避けようとする「社会恐怖」などという真新しい診断名を羅列して、異口同音に身の不自由さと身の不幸を訴えます。カウンセリングを受けたいと希望して来談するのですが、カウンセラーは受容的である筈だと暗にプレッシャーをかけて来て、身勝手な言動でカウンセラーを振り回すこともあります。ときに意識的なこともありますが、ほとんどの場合は今まで満たすことが出来なかった「甘え」をカウンセラーを相手に無意識に満たそうとします。

 可愛らしい素直な甘えでしたらさほど負担にはならないのですが、決まって「言い掛かり」をつけるのです。どんなに拗ねる甘えにもじっと耐えて優しく対応し切ることを求めるのです。カウンセラーの多くはカウンセラーであると認めて欲しい気持ちがあるものですから、定期的に通って来て欲しくてひたすら耐えます。求めに応じて疑似友だちのような交流をしたり。身体的不調の訴えに対応いsて心理療法ならぬ身体療法のようなことまでに応じているようです。もっともアメリカ西海岸では、心理療法士であるはずのカウンセラーがヨガやジャズダンスで心理治療をする傾向が強まっているようですから、カウンセラーとクライエントである学生に無理や不満が無ければ良いのかもしれません。

 このところ驚かされる事件が多発しています。しかし、青少年の殺人事件を統計数字から言えば、先進国の中で極めて少なく、一貫して減少し続けていることも事実のようです。驚かされる事件が多発しているように感じるのは、滅多に起こらないような事件が起こったということなのでしょう。俄には信じられないでしょうが、わが国に青少年の殺人事件が極めて少ないのは、思春期のエネルギーが受験戦争に向けられているからなのだそうです。不登校から殆ど閉じ篭りの侭になりますと、社会性を身に付ける機会が持てないばかりでなく、自己中心思考に埋没して行くことに歯止めとなるものがありません。子どもが学校へ行けなくなった時に、行くのが当然で行けないことを想定していなかった親は困惑するしかありません。

 自信を持てない親の家庭内の対応は後手後手となり。屈折した依存感情をエスカレートさせてしまいます。躾が充分でない愛犬が家庭内で一番権力を持ってしまい、飼い主を隷属させ手足のように酷使する「アルファ−シンドローム・権勢症候群」と呼ばれる現象に、よく似た関係が人間の親子の間にも生じてしまいます。ただ可愛いからと飼ってしまい傷だらけになって後悔している飼い主のように、多くの親たちが困り果てたままで幾年もその状況を過ごしています。愛犬だったら訓練所があり、訓練士さんから矯正指導が受けられます。ところが多くの親たちが、人間であるが故に、孤立無縁のまま追い詰められる一方、子どもたちは紙袋を破った子猫のようにあがき騒いで暴れ廻っています。

 テレビのニュース番組で、ある大学教授が得意満面でインタビューに応えていました。その教授は数少ない思春期専門の精神科医のはずで、地方で事件を起こした少年の親が精神病院への入院を拒絶されて困っているとの相談を受け、電話でその精神病院に入院できるよう強く要請して目的を達し親から感謝されたという”美談報道”でした。ところでご存じのように、強引に入院させて直ぐに外泊させられてしまい、バスジャックというあの事件になってしまいました。この教授が精神保健の専門家でなかったら仕方ないかもしれません。親も誰も困り果てて入院させるのでしょうが、入院させたからには治療が始まらなければなりません。そして、少年が入院させてもらい良かったととの感想を持って退院するのでなければ、かえって状況がこじれて大変な事態になります。

 学内精神保健ネットワークは学生課を中心にして、学生相談室と保健管理センターそしてカウンセリングルームが相談窓口になっています。カウンセリングルームのカウンセラーが本学独自の「学生生活支援相談員」であるとの自覚を持って、狭義の精神保健に対応するばかりでなく円滑に学生生活を送れていない学生を発掘するために、各学科研究室を”御用聞き”と称して定期的に訪問するよう心掛けています。さらに、学生会館の購買部やブックセンターをも定期訪問していますと、奇異な行動をとる学生を目撃した際には気の毒だからと解決処理を依頼してくれます。多くの学生の意図である流れを毎日なに気なく見つめていますと、特異な学生の動きはすぐに目につくようなのです。

  学内精神保健ネットワークの危機管理システムについても、筆者らが20年来環境整備に心掛けて来ました。幸いなことにここ多摩地区は精神保健関連についても社会資源が豊富で、法務省八王子医療刑務所に勤務した経験のある矯正精神医療が得意な精神科医と都立府中病院で精神科救急に携わっていた精神科医がクリニックを開業しています。法務省は防衛庁や警視庁などと同様に、医官と心理技官とのチームワークに手慣れているので。薬物療法のみを気軽に担当して下さいます。また、精神医療の民主化に30年以上も活動している東京都地域精神医療業務研究会と東京精神医療人権センターが運営する精神科クリニックがあるので、受診に失敗して不快感や不信感を持ったりしている学生に”絶対信頼できる”受診先として紹介しています。

 入院する必要が出た時の精神病院についても、誰もが”良い病院”を紹介して欲しいと思います。しかも、”良い病院”のイメージを全く持たないで、お寿司屋さんで”お任せ”を注文するような言い方をします。しかし、入院という暫く生活する場としてレストランとスーパーマーケットを併設しているような設備が整った大病院が好みにあうのか、あるいは19床以下という有床クリニックで入院生活をするのが好みに合うのかは、入院するご本人に判断してもらうしかありません。治療内容が良くなければならないのは当然ですが、病院内はある程度の空間が確保されていなければ困りますし、生活環境が綺麗でなければなりません。さらには食事が不味くては困りますし、治療上に支障がない限り散歩が許されるような自由度が保証されていて欲しいと思います。感じ方に個人差があるのは当然ですが、このような内容を整えた病院が社会福祉法人によって運営されているので、さらに入院費用に”差額”を徴集される心配の無いということで”万人向き”の良い病院を紹介しています。

 本学は学生生活支援指導を実施し始めましたのは、人付きあいが苦手で孤立している学生やアルバイトをしたくても採用して貰えない学生の数が僅かながらでも増えている現状があったからです。精神病院に入院しますと、社会復帰プログラムとして作業療法、生活療法、社会療法を利用することが出来ますが、その為にだけで入院をすることは出来ません。誰もが当たり前に出来るようなことが出来なくなってもそれが出来るように指導してくれる処はめったにありません。めったに無いと言いながらもSST(Social Skill Training 社会技術訓練)指導してくれる精神障害者共同作業所がありますので、学生ボランティアとして参加してもらい目的を達しています。学部や大学院を卒業する直前になって、就職をして社会に出ることにためらう学生にもこの作業所でボランティアをするよう勧めています。卒業しても就職する気になる迄の間の”居場所”に最適です。

 精神科の入院基準は「自傷他害」と呼ばれています。自分自身を傷つけたり周囲に危害を加える恐れがある場合に要入院と判断され、かつて社会は「隔離」と「保護」を病院に求めました。そして今は、さらに「治療」を求めています。しかし、多くの病院は手のかかる患者は入院させたがらないのです。是非と入院させても、すぐに退院させてしまいます。入院させるばかりでなく、治療までしてくれる病院を捜すのは大変なことなのです。かつて開成高校生事件があり、その頃から同様の事件がエスカレートして来たようです。しかし、して良い程度としてはならない範囲を教えさえすれば、このような事件が起こらないのも明白です。

 ドイツやオランダが始まりですが、欧米先進国には病院と刑務所の中間に位置する矯正治療施設があります。アルコールや薬物の依存症など薬物療法のみでは治療効果が期待できない疾患でさらに行動障害を伴う患者さんに必要な矯正治療は精神病院では出来ませんし、刑務所でも少年院であっても矯正治療効果を期待されても応じられないことはすでに知られているからです。それに対して、わが国はごく一部の精神病院を除いての全国のどこの精神病院でも処遇困難な患者さんを入院させて看護職員に退職されては経営危機に陥る切っ掛けにもなりかねませんし、人権侵害で告訴されるなどスキャンダルで命取りになると考えています。そのために、自らの意志で入院して、治療上の指導には素直に応じる患者さんしか入院させない傾向があります。しかし、患者を選んでいるのではないか、扱い難い患者の入院は拒否しているのではないかと指摘されるのも困ることなので、上記のエピソードのように強く入院を求められてしまうと入院に応じ、トラブル発生しないうちに退院させてしまおうとしています。

  日本にもこの種の施設を導入することを考える必要があると思いますが、精神保健法の改善整備で「入院治療が必要な場合には入院治療を受けさせられる」という極く当たり前のことが可能となると考えられます。筆者は東京都の精神保健福祉専門委員としてこの種の会議に参加していますが、いわゆる「移送問題」という、緊急入院が必要な時には公的機関が移送を担当して無事保護し緊急外来を受診させるということです。精神保健業務担当者が集まって会議を重ねていても結論に導き着かずにいます。その間にも社会のニーズは増え続けている訳ですから、切実な必要に迫られてガードマン会社が家族の依頼に応じて「移送」を受け持っています。

 切実な必要に迫られているとはいえガードマンが担当することに疑問視する意見も強い為に、最近は「心の専門家が同行し適切な対応をしている」という一文をパンフレットに載せています。臨床心理士の資格を取得しても就職先が無くフリータ−状態にある者たちが、資格を持つ自覚よりもフリータ−感覚を優先させてしまっているのでしょう。いかなる理由で精神衛生法が精神保健法に変わったも知らないで、軽い気持ちで参入するのは失礼であるばかりでなく未必の故意でもありましょう。臨床心理士の資格を持った家庭教師が適切な指導を受けながら危機介入をした方が、社会のニーズに対してより有益な貢献が出来るでしょう。

 かつて「消費者運動」という考え方がありました。商品情報ばかりでなく必要な情報は全て開示して、企業は購買する消費者に判断材料を提供すべきであるという考え方です。お正月初売りの福袋でさえ最近は中身が見えなくては売れないようです。支払う代価に見合う商品であるかどうか、確認ができないままに買う気になれないのは当然でしょう。医療も例外では無く、あえて医療人はサービス業種であるとの自覚を持たなければなりません。

 消費者である患者も例外はなく、支払う代価に見合う治療内容であるかどうか確認して医療機関を選ばなければなりません。しかし、医療は”サービス業種”と言いながらも賢い患者になるには余りにも情報が少なすぎます。普段は無縁と考えている精神保健は更に情報が少なく、その時には困るしか無いようです。いきなり精神科へ心療内科へ勧められても、すんなり受診できる人は少ないでしょう。医療や福祉への期待は今後益々高まりますが、特に遅れている精神医療は情報開示に努力しなければなりませんし、消費者である患者も情報収集を怠らないようにしなければなりません。その間に立って両者の調整に勉めなければならないでしょう。

 青少年の行動が社会問題になっています。子どもだから、心神耗弱だからと犯した罪が放置されてしまうのではなく、病院や刑務所など既存の社会資源に有効な機能を持たせ、適切な治療的処遇で社会適応力が獲得できるようにしてあげる必要があります。青少年の言動が了解の範囲を超えているからと、あたかも異星人であるかのように世間は無責任に評します。しかし、この現象は、家庭教育と学校教育が充分でない結果と考えた方が良いでしょう。また同時にこの危機的問題を解決する為には、家族療法の場で「して良い程度と、してはならない範囲を教える家庭教育の啓蒙」は精神保健専門家の仕事のように思います。

         (なかしまはくじゅ oak-wood@lovelylab.net)

 

   

  

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