昔も今もその場の空気 

      

      

 米国は9.11の直後に原発へのテロ攻撃を想定して、その対応を整備しました。備蓄基地から被害状況に応じた機材や物資を空軍機で速やかに届くようにしたのです。日本の原発事故の際にも炉芯溶融を防ぐための冷却剤を空軍機で送ると提案して来ましたが、政府はアメリカの提案を受入れ無くても自力で解決出来ると判断したようです。廃炉を防ぎたいという思いがあったのでしょうか、そのために水素爆発が起こり放射性物質を撒き散らしてしまいました。

 沖縄の米軍基地移転問題の時でも、国外か県外への移転が可能であるかのような発言がありました。そしてマリアナ諸島の州知事が受け入れ歓迎を表明したので、誰もが満足する解決かと思いました。しかし、なにも変わることなく、大山鳴動県内移設のままとなってしまいました。あの状況であれだけの発言をしたのですから、誰もが驚くような切り札を考えているのではないかと思いました。

 そもそも日本社会の特徴として、その場を支配する空気というものの存在があります。その空気に逆らうのは難しく、相反する意見を持っていても発言するのは極めて困難です。そのために満場一致で議決され、反対票がないのも珍しくありません。

 かつて日中戦争を終結させてアメリカとの開戦を防ごうとした近衛首相は、天皇に陸軍の暴走を諭す上奏を画策しました。しかし元老たちは天皇の下命が現場に届かないことを恐れ、会議を重ね誰もが責任を取らなくてよい空気が支配するのを待ち、天皇が決めた勅任官など高等官が天皇の意志に沿わない筈は無いとしたのです。そして、天皇への上奏は不要ということになり却下されたのです。

 さらに近衛首相はアメリカ大統領に協力を求めましたが、同意は陸軍の承諾を得るのが前提と釘を差されてしまいました。建前として上司の意向に賛成しても本音は必ずしも賛成でないと、最高権力者が笛を吹いても踊る振りをするだけが多いようです。

 震災と原発事故に対する指揮能力を問われた菅首相も、危機管理の法整備が不備のままであれば、指揮系統が不全を起こし意図が現場にまでは伝わりません。泥縄会議を重ねることなり、その場の空気が前向きの足を引っ張ります。その場の空気に逆らえない日本人のトップよりも、その場の空気を無視できる外国人がトップの方が良いように思えてなりません。  

 

 

 

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