いま時も嫁と妻

 

 

 A子さんはM社の総合職でした。K大学法学部のHゼミでゼミ代表でしたから、4年生になる春休みにはゼミの先輩でM社にいるB君がリクルーターとして訪ねてきました。成績が良ければ三の字のつく企業に就職するのは予定のコースですから、早々と内定をうけることに快諾しました。M社も他社と同様に会社訪問の時には学生を丁重にもてなしても学生が提出した書類は封も切らずに積んでおくだけだそうです。通常のコネではその封を開けてもらえるだけで、それ以上のことはないとのことです。

 A子さんはゼミ代表であったことで就職が決まったように見えますが、実質的にはゼミの先輩でM社にいる数年先輩と十数年先輩のリクルーターの面接で決まるのだそうです。伝統的にK大学のゼミの教授と先輩2名の保証つきで一流企業の就職が決まっているので、他大学から入り込む余地が無いばかりでなくK大学法学部でもベスト3のゼミに入れなかった学生には道が開かれていないのだそうです。A子さんは学業優秀ばかりでなく、ディベート(討論)で鍛えられて弁舌爽やかに持論を主張して対立意見を論破する技能も持ち併せているようです。

 そのAこさんが入社してすぐに男性新入社員を押しのけて抜群の評価を受けましたが、二年目の夏過ぎから活発な言動が目だたなくなりました。その変化に気づいたB君が理由を尋ねると、指示通りに仕事をこなす自信はあるが仕事を任されるとたえず不安がつきまとい不全感で気持ちが萎えるといいます。気をきかせたB君はゼミの教授にかけ合いA子さんを研究室の助手として引き取ってもらいました。幸運にも資料調べということで3ヶ月ずつ英米の大学へ派遣してもらい、すっかり元の活発さを取り戻しました。この間にB君と密かに交流があったようで、帰国してすぐに婚約し教授の媒酌で結婚しました。

 教授の研究を手伝い学生を指導する充実した日々に、予定外の妊娠で急遽意を決して子どもを産みました。子育てをしながら仕事を続けられるとの見通しがあったからです。ところが子育てを邪魔するかのように、夫と姑のいいがかりとしか思えない言動が目だつようになりました。可愛い孫だからと、どうでもよい様なことにも注文をつけるので、お任せするというと母親は主体性をもたなければと皮肉られるふうなのです。なるべく気にしないように口答えをしないように我慢をして、ことを荒だてないよう夫と義母の意見を通すと、意見をもたないのは半人前の証拠などと受けてたつよう挑発されてしまいます。

 夫の実家は江戸末期からの和菓子の老舗で、近い将来には家業を継ぐことになります。その時には代々受け継がれてきた名前も襲名して店主となり、その時が来たので当然のように父親から息子へと引き継がれます。ところが実際に主となって職人や店員を管理する老舗の女主人の座は奪い取るもののようです。姑はいつまでも君臨できるように頑張り、嫁は実力をたくわえ追い落とせるよう頑張るようです。どうやら姑はいきなり“仮想敵”として扱い、夫は一日も早く実家に入ってもやっていけるようになって欲しいと思っていた為のようなのです。

 社会学では「“嫁”鋳型説」というようですが、家風という鋳型に無理やり押し込めて当然とする考えは受け継がれているようです。結婚して「妻」になるつもりでいたA子さんは、結婚したら「嫁」になって欲しいと夫が考えていたのに気づくのに3年もかかりました。「嫁」であるまえに「妻」でありたいA子さんの気持ちは、夫に気づいてもらうのには30年以上はかかりそうです。

 

  

 

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