"トワン・ブッサル・ミウラ" 三浦大旦那様を訪ねて

 

 

 ホテルの1階には古美術骨董の店や更紗の布地やバティックの店、そしてお土産品の小物の店があって、その中に航空会社や旅行社もあり航空券の手続きや観光ガイドもやってくれるようです。今回の旅行目的はホテルのビラに泊まって4年ぶりの義理を果たすこととついでに観光をするという程度のつもりでしたが、知人のインドネシア人から三浦襄という名前を知らされましたので、墓参を第二の目的に昇格させました。戦前・戦中の出来事で戦後生まれ世代には無縁のように思えてしまうのですが、日本人の血が騒いだのでしょうか無視できない気持ちになったのです。日本人と戦争との関わりで、めったに聞かない話だったからかも知れません。

 旅行社のカウンターを覗き込んみますと、中から上手な日本語でお入り下さいと元気な声が聞えました。日本語を喋るガイド・ワヤンさんが出迎えてくれました。知人のムリアルタさんのイ・プトゥは長男という意味だそうですが、このワヤンもやはり長男という意味なのだそうです。日本の"太郎"と"一郎"に相当するのでしょうが、バリの地域で言い方が変わるのだそうです。日本にも同じ意味の名前があるとの説明に満面の笑顔で喜びを表わしました。日本に好意を持って居てくれるのだなと思いました。

 そのワヤンさんに三浦襄のことを尋ねてみましたが、名前そのものもまったく知らないと言います。家に帰って祖父母に聞けば知っているだろうが、友だちに聞いても知っている者はいないだろうと言います。パパサン、スイマセンと言い、申し訳なさそうな顔をしました。シャチョウサンと言われなかっただけ良かったような気がしますが、とっさに出てしまった言葉のように思えました。

 クタからイマン・ボンジョール街道をデンパサールに向けて走り、クボラン・バドウン墓地の先をクラカトウ通り折れると鎮守村寺(プラ・デッサル)があり、その境内に目的の墓所あるとガイド・ブックに書いてあったとうりに説明しますと、その墓地はよく知っているからダイジョウブとチョッピリ心配になるほど安受け合いしてくれました。 

 お墓参りをするについて、墓参の宗教的な意味合いでの"しきたり"を考えてみました。ワヤンさんいわくバリ人の墓参のイメージは高く円錐形に盛り上げた果物や花を供えるもので、ヒンズー教のしきたりだと言います。日本人の多くは無宗教と思っていても仏教のしきたりで線香に火をつけて煙を上げないと墓参りをした気分になれないが、三浦襄はクリスチャンだから、しかもプロテスタントだろうから(理由は後述)、あっさりと花束だけでよいのではないかということになりました。

 墓参を含めた1日観光という依頼でワヤンさんは、ウブドの芸術家村で昼食を食べて夕食の付かないケチャとバロンのダンスを鑑賞することを勧めて下さいました。私たちは聞き逃したことなのでしょうが、ホテルのサービスで食事が付いていてホテルの食事の方が美味しいからと勧めて下さったので、ワヤンさんのきめ細かいガイド・サービスに感激しました。バリ人の良心の表われかと感動しました。

 ホテルのロビーを出ると白いベンツと運転手さんが待っていました。新車のCシリーズです。ご存じのように、日本では高級ファミリー・カーとして受け入れられている、ベンツの豪華を排して堅実を売りとした新シリーズです。この車で日本語のガイドがついて、1日借り切って20万ルピー(約1万円)ということなので、思わず頭を下げてお礼を言いたくなる気持ちでした。

 デンパサール市内の花屋さんへ寄って貰い、ワヤンさんに見繕って貰って墓参用の花束を買い求めました。なんでも良く育つ常夏の国だから、果物や花は安価であろうと想像は出来ます。しかし1ルピーが1/20円ですから、さらに安値感は強く驚かされてしまいます。2千ルピーでは花1本の値段ですが、これで花束が買えてしまったのです。ワヤンさんが良く知っていると言っていたとおり、速やかに墓地へ連れて行ってくれました。

 ここが墓地だと知らされて、どこが墓地なのと言いたくなるほど、日本人が想像するものからかけ離れたものでした。街の一街区ほどが石塀で囲われていて、その石塀は墓地を想像させるに十分でした。もちろん立派な門がありますが、塀の所々が無くなっていて、近所の人たちが便利な近道として利用しているであろう"生活道路"が、墓地内に縦横無尽に踏み固められています。全体的には背丈ほど草が生い茂った原っぱで、数本の巨木が涼しげな木陰を作っているところは子どもたちの遊び場のようです。また、草が焼かれたところは芝生の広場のようになっていて、オーブンの中のように上下からの炎熱で、そこを縦断するだけで体内の水分が減って行くのが分かるようです。のちにインドネシア人の知人から知らされたことなのですが、バリ・ヒンズーの考え方では火葬して魂が天国へ行ったら、遺灰はそのまま大地に戻るのでよいのだそうです。墓地は聖地という考え方なのだそうです。お祭りの御輿のようにきらびやかな装飾の棺が、大勢の人たちに担がれて運び込まれて荼毘に付されるところという考え方なのでしょう。

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